2015 年 12 月 29 日 のアーカイブ

注がれる

2015 年 12 月 29 日 火曜日

あらかた 放たれたあとの 百合の 種コップ

もうなにも 入っていない

…と 思いきや

ひかり そこへと 注がれて

そこに こめられていた いのちたちの 記憶が

満ちてゆくようで

しばし そこへ とらえられて

わたくしの中へも

なにかが 注がれ 満ちた

思い出せない

いのちの

思いの

記憶が?

どこかで 咲いてゆきますように と

放たれたものへと

手をふる

百合よ

わたくしよ

御神籤みたい

2015 年 12 月 29 日 火曜日

昨日「たなばたけ」で 購入した

遠藤さんとこの にんにく

値札の裏に

ハートの切り紙と ひとこと

御神籤みたいだな

んでもって すべて よいことに繋げる言葉

励まされてきたのかな

そうしてその気持ちを 誰かにも お裾分けしてくれるのかもしれないね

恩返しとか 恩送り

やさしいなぁ

胸のうち 蝋燭みたいに

ぽ と 灯る

のんきな森家

2015 年 12 月 29 日 火曜日

昼は

天然酵母パン こうあんの 醸味ぱんと

サラダや ポタージュスープやら

ちみっと おされ♪

スープも みんな おかわりしてくれて

ほっ

食後に

本日の ポタージュは じゃがいもにんじんたまねぎにんにくとうもろこし…の 基本に 朝の 馬鈴薯と 小松菜と 油揚げの 味噌汁の残り合体にて 仕上げましたる♪と 発表

「最後の 種明かしみでぇな どんでん返しで がくっ…てなる」など 父に 呆れられ

でも「四人一緒に 食べられて いがった いがった」と 母も にこにこしてて

洗い物は あんちゃがやってくれて

なんというか まぁ いろいろあったりなかったりする

いつもの のんきな 森家であることよのぉ と

ほっとしたりして

いい天気

みどりこさんのまよい

2015 年 12 月 29 日 火曜日

もしや まだ 食べることに 未練があったのか…

みどりこさん

再び 大根葉へ 移るの 巻

もんしろみどりこさん

どうも まだ 蛹処 定められぬようす

うにうにうにうに 移動するで

気が気じゃなくて

おちおち 年賀書きも できぬ

気が気じゃない…て いうけど

じゃ 気は 今 何に変身しとるんだろ?とか

腹の足しにもならんこと 思い浮かべつつ

切りのいいとこで ばんげの準備のため 中断

でも 残すところ 100枚

本日中には 書き終える予定

…とはいえ 己の住所書き部門のみですけど

わはははは

頑張る 601枚

蛹処 定めぬまんま

何時間か じっとしては

また もにもにもにもに と 移動する もんしろみどりこさん

やはり 先達から受け継いだ

より 外敵が 来そうにない どこか…てのを 探しているのであろ

以前 山椒 植木鉢にて 蛹化してくれるであろう…と 踏んで

室内に おっこんだ ナミアゲハ幼ちゃんは

テーブルの 支柱みたいなとこで 蛹化したもんなぁ

ううむ…

くまつづらの 枯れ茎を 束ねてみたり

杉枝も 刺し立ててみたり

喜んでもらえそうな

プラスチックの カバーみたいなものも 立ててみたり

また お腹にいれたくなったら 食べられるように 大根葉水盤は そのまんまにしたり

みどりこさん過保護しておりまするとこ

どうなることやら…

「文子スペシャル」

2015 年 12 月 29 日 火曜日

ばんげに

ありもので作った メインのおかず

母が 食べたもの日誌に 書くに当たって

「なんつったらいいもんなの?」と 問うてきた

鶏肉 牛蒡 椎茸 油揚げ 生姜 大根おろし 甘酒 片栗粉…だから 鶏牛蒡椎茸油揚げの 甘酒みぞれ煮といってもよいかな と 言ってみたが

ほぼ 材料そのまんまだな

んでもって 名前当てられない 妙な出来上がりのものを

家族ら「文子スペシャル」と 呼ぶが

本日も「みぞれ煮あやこすぺしゃる」とか 言い出した

見た目 ぐだぐだだけど んまかったろうがっ と 反論したら

「だって 見た目 マイナス12点て 感じなんだもん…僕的には 甘酒入ってるなんてことは 聞きたくなかったし…」と あんちゃ

美味しく食べられたんなら よしとしろっ!なんて

また 乱暴な ものいいを 投げつけるような感じ とはいえ

直球デッドボール的じゃなく

ワンバウンド 

間抜けに 弾んだ おどげ(お道化)語りなど いなして

みんなで ぱはははは と 

脱力笑い

マイナスでも まぁ及第点 てことで いいよね

マッサージのため

2015 年 12 月 29 日 火曜日

昨夜の 呑み会

いったん 締めとなって

改めて 呑み直す段にて

母への 寝る前マッサージ時間だから…と 途中退席した

駆けつけた 勢いのまんま

ぐいぐい マッサージやって

「いでで」なんて いわれつつ

すこぅしずつ ほぐれる むくみ

凝りのようなもよ

母も

わたくしも

こんな どたばた 雑 雑だけど

駆けつけたり 

添ったりしてゆくよ

「いつもすまないねぇ」は

こっちの台詞なのだな

ありがとう

懐かしの面々

2015 年 12 月 29 日 火曜日

忘年会的 地元飲み会 てのは

かつて かくだふるさと夏祭りの「アジアバザール」企みの 核になっていた

たかっさん ぶっつぁん しばぐっつぁん

そして 思いがけず 里帰りのついでに つかまえられた なぎ~ねぇちゃん…という うれしいメンバーと

たかっさんの 同級生の おぢちゃんたち(66~7歳)

先日 モンゴルとの チャリティーコンサートで 写真を撮ってくださったという 氏家さん

…ほかにも 何の由縁だか?てな

ひとことで まとめられないような まぜこぜメンバーだった

まぁ 毎年 たかっさんを めぐる 「おもしぇ企みに いっちょかみしてくれる仲間」飲み会に

混ぜていただくのですが

このあたりで いつも

イベントの お手伝いや

次なる 野望への 足掛かりなど

なんとなく 繋がれたりもしているのですね

この中で 出てきた「アジアバザール20周年記念もあるからさ」てな お話

その年数は

わたくしが 角田でも おもしぇことができるのだな とか

ワケわからん…と いなか町では 謎の存在であった わたくしを

表だって 認めてもらえる きっかけに繋いでいただけた 年数でもあるのだよな と

しみじみと 思う

わかりやすい 田舎の夏祭りの 一角に

アジアの 留学生の方々の お国自慢料理 物販ブース

それぞれの国の 踊り

じゃんけん的 こどもの遊び紹介

仮面というテーマ

アジアビール 利き酒大会(司会のくせに 呑んで べろべろわたくし)

パントマイムお師匠の はとちゃんまんちゃんはじめとする 大好きな 芸人さんたちの パフォーマンス

たかっさん中心で 祭の全体会へと 繋いでいただけていた 数年は

今年は何をテーマに パフォーマンス部門 もりあげよかな♪なんて わくわくで

夢のように楽しかった

…とはいえ 始まりの頃は その 突飛さやら 「角田という町から アジアの風を届ける」なんてな確固たる思いについて

「小難しいこと 語るやつらがいる」なんて

風当たりが強かったりもして

やがて 経済的な 下向きの流れから 

全体予算の削減

商工会世代交代…など

いろんな条件が 重なって

アジアバザール自体 祭から 退いてしまったのでした

そこで 出逢って 仲良くなった方々とは 別の企みなどでも 

今も繋がっていて

あぁ たからもの と 思う

先日角田でやった モンゴルチャリティーコンサートだって

もともとは アジアバザール 次の企み と 称して 呑んでる席で 

たかっさんが 酔っぱらった勢いで モンゴルの歌姫 イリナちゃんに 電話かけたのが きっかけだったの 覚えてるぞ

隣の席で 酔っぱらいの おっさんが 突然 夜に電話かけてきてる…てな 状況にとられなくもないぞこりゃ…と 

はらはらしながら きいてたんだった

今や 数重ねた チャリティーコンサートやら CD製作で

モンゴルに いくつかの学校をたてることができた…て

たかっさんの あの 怪しい酔っぱらいぶり ぶっとばさなければ 叶わない話だったのだよ

なぎ~ねぇちゃんとも 別イベントで 会えたりはしてたけど

やはり 角田のまちで 改めて会って 話すと

おもしぇこと なんでもできそうだよね 一緒にやりたいよね…て

わくわく企み寄せ合ってた気持ち

また わいてくる

あの頃に戻るでなく

あのとき たくわえてのち それぞれでやったからこその 今

酔っぱらいの話 8割流せ…とはいえとはいえ 

残りの2割でも 結んでこれた あれこれ

また なんかやろうねなんでもできそうだよね なんて

楽しげな 思い

ふわりふわりと 膨らむ夜でありました