2010 年 1 月 19 日 のアーカイブ

ほんとは 好きなのに

2010 年 1 月 19 日 火曜日

周りで あまりよく言わないもんだから
つい 自分も そんなに 好きじゃないよな 素振りしてたかも。
でも 好き・・・なんて 公言したら最後 
何かと 集中攻撃されそうで ためらってたのもある。
例えば 最中・・・三色あって 大納言・白あん・ごまあん
もちろん 大納言が一番大好きだけど、しろもごまも好きなのよ。
ただ うちの人々 しろやごまが 苦手なもんで 
好き・・・なんていったら 「だったらほらほら!!!」なんて どっさりよこされて 大納言にたどりつけなさそう。
栗ものもそう
餡子に栗入ったのも モンブランも 好き。
「わ、このどら焼き 栗入ってる」なんてがっかりしてる人の横で
あ、それ好き・・・て言って 「ええ~?なんか 邪道」とか言われて・・・余計なおせわぢゃ!
嫌いなもん無い と言ってた割りに ちょっとすかした態度 とってたかも 
どんな 自意識なんだか ちっちぇえ!
何の意味もないので もうやめます・・・誰も わしの御託なんざ きいちゃいないが。

濁る

2010 年 1 月 19 日 火曜日

心身がね。
ま、暇~てなると よく 思い悩む風を 気取る・・・てな感じかも。
ここしばらく 「そんな 御託並べる暇あったら〇〇しなきゃ!」が続いたから かえって 幸いだったのだね
その反動かな。
あと、自分が「創作している」と実感できるようなことを 怠っていると
だめだぁ 自分・・・て 余計な 負気分になんだな。
ぼんにゃり のほほんも 得意なくせに
うにうに ぐずぐずも 得意。
でも 創作とて 何か降りてくるような稀な瞬間もあれど
概ね 切羽詰らないとやらんのだよね。
VIVA! 火事場の馬鹿力・・・なんてな。
だからといって 火事起こすような真似しません・・・八百屋お七ぢゃないっつーの。
多分 この苛っとしたような 緩い不機嫌は
午前中の ネット接続変更試みの途中で わからなくなったり 怖気づいたり 接続切れちゃったり・・・のぐるぐるしてるうちに 船酔いみたいになっちまったのが 引き金。
自分こんな  ばかでしたっけ?
そんなこと思ってるうちに ここ数日抱えてた「ちょっとがまんした気分」が 
びぃやぁ~っと 膨れたんだわな・・・誰のせいでもないんだが。
気持の整理つかん腹いせに 目に付いた わけわかんないままためてた 書類の数々 だばん!と 捨ててみる。
なんか いろいろ 捨てたいんだな自分。
気持一新するのを 自分の力だけでは 成し得ない時
新しいものを 買ったり 取り入れたりして あたかも 新しいわたくしになったような気になる
・・・そんな 甘えたことしてっから 収拾つかなくなるんだっての。
よお~し 今から いろいろと 捨てていって 身軽な身の上に なって生きるのだ
・・・など 少し上向きで 鼻息荒くなってるとこに
通信販売 フェリシモの 今月のお届けボックス 配達。
わ~い 何注文してたっけ(ここら辺 生活人としてだめだめだ)・・・なんて 軽くわくわく。
あれ?さっきまで言ってたことと なんか 違ってますが
え~と 人って 矛盾があっても 生きられる 便利な 生き物だわよね うふ。
クソ甘な 人生なり

最後の一滴

2010 年 1 月 19 日 火曜日

お茶の 淹れ方に「最後の一滴まで注ぎましょう」て あるけど
いつになったら「最後」って言ったらいいか いつも迷う。
だって 茶葉が湿ってるうちは 出るんだもの。
ゆっくり 注いでたら「早くくれや」てな ちちの顔。
んで、ためしに 急須を 茶碗に傾けた形で しばらくおいてみた。
7分後 どうだろ?と 触ってみたら てっ・・・と一滴 
ううむ・・・お茶時間の ゆるりとした 楽しみ方できる人には いいけど
今すぐ 茶が飲みたい!て人には 無理な感じ。
簡単に「最後」なんて言葉 用いんなっつーの。
茶葉を 蒸らす時間とか 数字で示してるのに、最後の一滴・・・てとこだけ 漠然とすんの なんでか?
〇秒待っても 次の一滴が 落ちてこなければ・・・とか 言うと 色気無いからかな?
茶に 色気もとめてないけど。
仙台駅近くにある 台湾の茶葉を 売ってる 「竹里館」では
売っている茶葉の味見をさせてくださるのだけど
じっくり ゆったり 「最後」かも?の一滴まで 注いでくださる。
急いでる人には すすめないが、いい ほどけ感に 包まれますわ。
そんなこんな思えるほど 心が暇な 今朝の茶時間。