2011 年 4 月 8 日 のアーカイブ

それぞれのうろたえ

2011 年 4 月 8 日 金曜日

ぴちは 腰を低く おとしたようになって わたわたわたわた~っと 二階へ駆け上がっていった
外へ 出ていた うっし~は しばし姿見えず
父は ラヂオの乾電池が無い と 起き出してきて 
わたくしの じゃこじゃこ自家発電懐中電灯と 蝋燭の明かりの元 
なかなかはまらぬ 電池やら 合わなくなってしまった チューニングに 四苦八苦
一昨日から 中二階の自室に戻った 母は 一瞬 階下に 降りてきたものの 
程なくして 布団に戻ったもんで かえって 心臓やら血圧問題 心配になって 覗きに行ってしまった(結構 すぐ すやすやねむったらしい)
あんちゃは 電池の入っていない懐中電灯を 渡してくれたりして 使えんやんか~
もしかして 電池入れておけってことだったのか?
ほどなくして ぴちこさんが わたくしの部屋の 畳んだ布団のうえにいるのを発見
落ち着いたもんだねえ なんて 感心していたけれど
母曰く 地震発生後 先月11日の時みたいに しばらく あおあお~と 鳴いて 動こうとしなかったと
慎重な ぴちこさん 考えてみりゃ 再び ごしゃごしゃに本やら 姿見やら あらゆるものがぐずぐずになっている わたくしの部屋にいるってこと自体 普段無いこと
どうやら 腰抜けかかっていたようで互いに 落ち着く
ほどなくしてうっし~帰宅
わたくしにぺたりと張り付いて 身づくろい
これとて 普段 あんちゃに ぺったりな うっし~にしては 珍しいこと
それぞれうろたえたってことだな
朝もはよから わたくしも 姿見 起こしたり 行く手を阻む 本をのけたり
母は 前回 足が壊れかかった 鏡台の鏡部分が外れて がっかりしつつ
「直せるかどうか おとさんみて!だめだらば なげっかなんとか考えっから」と てたぱたはじまる
まあ まずは 落ち着いて 朝飯食ってからでよかろう
誰より早起きしちゃって ここ最近 手出ししてなかった 朝食準備などしてしまう わたくしも 若干 異常行動
あちこちで 立てなおしたものたち こころたち
どうか また くずおれぬように と 願う
しばらく また 断水広報あり
さあまた がらごろ引っ張って 給水さ 行くだ

仕舞うのやめたり また出したり

2011 年 4 月 8 日 金曜日

ありがとうろうそく茶の間に出しっぱなしにしていた 蝋燭たち
うっすら埃を被ってきた 
そろそろ 仕舞おうかな・・・と 思っていた矢先の 大きな地震停電に
再び活躍
まあ 朝方には 復旧したのだけれど
今しばらく 出しやすいところにおいておこうかな と 思いなおす
水道も 出が いまいちになったもんで
母 片付けてしまっていた 水用 ペットボトルやポリタンク 
再び 物置から出して 念のため ちょろちょろ水道から 溜めることに
どこまで緩めていいものやら と 気持ちや 備え 行きつ戻りつ

ちょっと寂しかったりもする

2011 年 4 月 8 日 金曜日

昨日 素敵 診療所「河北診療所 補聴器センター」での
最終 確認診察 
これまでのもろもろを 紹介してくださった東北大学病院の 川瀬先生に報告して終了
一応 締めでした
左耳だけ スピーカーとレシーバーをつなぐ線を ちょっと長いのに替えてもらうのも 完了したし
あとは まあ 半年にいっぺんくらい 点検確認みたいなもんに 行った方がいい・・・程度
いつも丁寧に話してくださったり 調子こいて いらんこと べらべらと喋る わたくしの話 にこにこ聞いてくださる やさしい言語聴覚士 本田さんや
爽やかな 笑顔で 心 そよそよさせてもらっちゃう 受付の 岩淵さんや・・・
時々だけど 心やすらぐ ひとときが しばらくないのか てのが
ちょっと さびしくもある
でも ここの建物の前を 通るたびに
ああ今この中で あの 優しい人たちが 立ち働いていらっしゃる と
温かな心持になる瞬間は 続く
ありがとう
・・・このブログ 一個前の地震の前に打っていたのだけれど
びっくりして 保存になったまま
のどかな気持ちだったのね
余震と停電続いている中
バッテリー残りで 仕上げてみた
今することでもないのかな と思いつつ
伝えておきたいことは 伝えておくがいいと思ってるもんでね
なんだか びっくりしても のんきなまま
そんな ちみっと 腑抜けた自分に 救われることもあったりして おめでたい