2018 年 3 月 24 日 のアーカイブ
きょうだいばんげ
いぼどんぶり
昔「いぼどんぶり」て 呼んでる 丼があって
それが いつも わたくしに まわってきてた
いわば 欠陥品なんだろうけれど
これがあると 安心した
自分の くちもとの ほくろが 嫌で
からかわれて うなだれていたとき
わたくしよりちょいと大きいのが 反対側にある うちのばあちゃんから
「食うもん こまんねぇ いい『くろぽす』だがら じぃんだぃん(いいのだよ)」と
笑いながら いぼどんぶりに おいしいものを たっぷり作ってくれてた
今だって そんなに 好きになったわけでもないけど
これあるからこその あれこれは 確かに 有り難くあって(食いもんに困んないとか そういうことでなくて)
まぁ 愛嬌だわな なんて 思ったりはしてる
久しぶりに いぼどんぶりが 健在であったのを 見つけて
おぅ 愛嬌あるやつめぇ なんて 撫でてみる
でこぼこあって おもしろいさね
自分のことも 撫でてみる
ポートレート
アルゼンチン贅沢
昨日の夕方
財布の中身が すっかすかのまんま
しかし お三越で 買い物できる 金券がありましたで
ハイソサエティーな感じの 方々に混ざって
ばんげの食材を お三越地下食品売り場にて 物色
刺身用 赤海老が お安いわっ♪なんて
普段 こんくらいのお値段のもの 買わないくせに
嘯いてみる
国産のものは この三倍くらいだったもんで
アルゼンチンで 手をうったさ
帰宅して フライにしたら
「なんだなんだ 誕生日おかずシリーズだな」と言われ
まぁ そういわれても良いけど 茶碗蒸しもやってないから 明日やるか…なんて
もうすっかり 誕生日は 何日か ご馳走続けることに 定着させたい様子
まぁ 4月に入ると 母と あんちゃの誕生日が 近いから
結局そんな感じにはなるな
食事に関して ちょいと 消極的になってる母には
やはり 大好きな ほっきごはんかな?
プリンとか スイーツ系に 重きをおくかな なんて
食べ物のことばかりだな
なるべく 心浮き立つこと
考えよう
ちょこっと 飾り付けただけ
初SARP
昨日 初めて SARP(せんだいあーてぃすとらんぷれいす)に まいりましたる
SARPで 観たものは
木村隆さんの 写真展「’87新港にて」と 中島優理さんの絵展「Foto und Druck」
かつて わたくしも 訪れたっけな 1987年 東北未来博
その様子を 自腹で何回も通いながら 卒業製作ドキュメント撮影なさったという 作品群
狙い定めた 思い入れ ぐいぐいの ドキュメンタリー風ではなく
そこの風景そのまんま 踏み込みすぎずに 切り取った ドキュメントだった
撮り手の 思い入れでなく
語らずに そのまんま 切り取られている感じ
敢えてこれを今…というところに 観る側が
なにかを重ねて 語り読み取ろうとしてしまう
今はないこと
物事なんて 一瞬しか存在しないこと
でも確かにあったこと
介入できない それぞれの物語
掠めていった風から 呼び起こされる 自分の物語
撮る人が 饒舌なる 語り部的な作品ではなくて
観る側が なにをか 語りたくなる カウンセラー的な作品なのかも(勝手にいってるだけだよ)
そして これを引っ張り出して並べて よこで やんわり微笑みながら お客様を 写す木村さんが おられて
もしや この写真展は かつての作品の 展示だけでなく
それを観る人がいて
呼び起こされる物語りがあって ひとまとまりなのかもしれない なんてなことまで 思う
そして 今ならどう撮りますか?何を見せて 思いを湧き上がらせてくれますか?などと
先のことを 欲張る思いもあったりして
…また みせてくださりませ
んでもって 衝立の向こうの 優理さん 作品展
メゾチントという手法のものや スケッチ 着彩
あるものを そこにあるように…というよりも
優理さんが 受け取った 印象の 輪郭に 忠実に…というか
どれも 柔らかな 風合いに見えて
あぁ 優しい人なんだろうな なんて 思う
わたくしが まいったのと 同じくらいに 訪ねてきた おかあさんと 男の子二人…との 優理さんの やりとりが また ふんわりたのしげで
あぁ いいないいな
いろんなことを しっかり受け取って まあるくなでていてくれる
作品も きっと そんなあたりが 現れているのかもしれないなぁ
そのおこたちに「ねないこだれだ」バッグきっかけに すっかけてもらって しばし たのしいやりとり
そんな騒がしさも
「ふふふ♪」て やわらかに 笑って みておられたりして
素敵な人だぁ♪
お二方の 展は 確か 明日まで
お時間あるかたは ぜひ おでかけくだされ
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