2017 年 3 月 13 日 のアーカイブ

震災を振り返るワークショップ

2017 年 3 月 13 日 月曜日

せんだい3.11メモリアル交流館

敬愛というか 憧れというか

ダンサーで 演出家でもある 西海石みかささん進行の

震災からの 6年を振り返る ワークショップ 

参加してきましたる

それは みかささんのことなので

お話聞くだけでは 済まないであろうこと 当然 たのしみわくわくだったのですが

はじめましてさんと 開きあう きっかけのやり取り遊びみたいなもの

それはもう 愉快

なんてことなさそうな

さりげない あれやらこれやら

すべて 豊かな知識と 経験とに 裏打ちされてるのだろうな

どこへどう 揺れて転がっても

そうそうそうなのもありだよね と

逸脱もはみ出しもない

すべて 踏み 立ちゆくところが 次への基点になるような 安心感

そして すべてを 受け取りながら 誤魔化すでなく よきところへ 導く 揺さぶりのような 機転やら 瞬発力

開き合い

ほぐし

漠然とした「感じ」を あらためてみつめるゲームの後に

震災後の 自分の「感じ」を 絵にする

色と形…己の描いたものが あまりに 思いがけない 抽象画っぽくて

わけわからんげげげのげ なんて 怯んだものの

改めてみると なんとも 思いの感じの 解釈当てはまるなこりゃ と 思った

敢えて 口にせずにきた

とある 文学周辺のかたの 震災後の 発言への怒りなんて 漏れ出てしまったりもして

あぁ それ 今もあるんだなぁ と 思った

あのときほしかったのは 分析や わけしりがおの解釈や 物書きとしての使命とか 大義名分でなくて

そのものを経験せずとも 

無関係のような経験の中から汲み上げる 想像力と 共感だったのだろうな

ま そんなこんな 己のあれこれ あらためて見つめ

それぞれの それぞれなりの 体験と 感情に

違ってはいても そうかそうかそうなのだねそうだろうね と

ちょ と 触れただけだけども

胸の奥の方から

その人なりで 生きてきてくれて 出逢ってくれて ありがとう これからも よろしくね なんて

いとおしさのようなものが 流れ出してくる

メモリアル交流館の 展示をゆっくり見ることはできなかったのだけれど

また 改めて いかなくちゃ

ただみるのでなく

ここには これまでの流れを 受け止めて

次へと 受け渡してゆくための 

あたたかな 交わりがあるところなのだなぁ と 思う

活かして

生かされてゆく きっかけをくださる場所

光に向かってゆくところだ

素晴らしいな

仙台地下鉄東西線 

東の はじっこ「荒井駅」

その建物のなかにある「せんだい3.11メモリアル交流館」

実は わたくし 東西線には

開通前のイベント WE 転勤族チーム 大山青年 田代青年とともに

パントマイム転勤族物語…を やるってんで

国際センター駅ステージで 上演したのち

そのご褒美みたいなんで 乗せてもらっただけなのだよな

イベントフィナーレは 荒井駅前広場で 芋煮 食うたっけな

そうやって 関わって

応援するぞ♪て 思ったのに

乗らずにおって 申し訳なし

ま それはさておき

メモリアル交流館は

じっくり 時間かけて みたいものだ

かつて あったこと

あの日 あったこと

その後 あったこと

いまに結んでゆく日々

じっくりと ひもといて

心新たに 次へ受け渡す…というには これ以上ない 情報の充実

最新式の分類分析表示方法?

よりよく…を じっくり学んだ方々の手によるのだろか

とても みやすい わかりやすい

震災と 原発事故に関しての 年表が 壁に ず~っと 続いてあるの

この先も増えないでほしいな…地震はしかたないとしてもさ

そんな辺り 年表の 途切れてるその先の空白に

すこぅし 震える思いで

手を握り合わせてしまったりした

素晴らしき 施設

こんだぁ 地下鉄東西線で 行きたいなぁ

昨日の帰り道

空の方で

なにかが ゆるりと 流れるように動いた気がした

なにか 飛んでいるものとか

そんな小さいものではなくて…

どうも それは 光の流れのようだった

押す とか

引っ張る とか

強いちからではなくて

膨らんだものが

どこかへ吸い込まれていくような

気持ちのよいながれ…

夕日が 山の端に 温かみをましてのち 薄墨菫のように 染みていくのと おんなじような ひそやかさで

月が ふうわりと 東の山から 浮き上がる

譲り譲られるような 日と 月の

この 均衡が

まるで 互いに 流れを作り出しているよう

今時分の 月齢15歳さんあたりは

しみじみと 気持ちよい