2009 年 12 月 15 日 のアーカイブ

明日は 角田幼稚園クリスマス 燭火礼拝

2009 年 12 月 15 日 火曜日

かあさまがたと 練習してきた 讃美歌など
明日 歌いまする。
今日 初お子たちとの合同練習も やってみて いい感じ。
あれ?いつもの 「英語で遊ぼう」のせんせが 違うことやってる・・・と ざわざわしてるのをみるのも また楽しかったなあ。
毎年メンバーは 違うのに、確実に 上手くなっていくのは なんなのだろう。
すっとぼけたこといっても かあさまがたが あたたかな 微笑み(苦笑い?)で
受け入れてくださるので 申し訳ないなあと思いつつ
一緒に 讃美できるよろこび、育った幼稚園にまた帰ってこられた喜びに
今年も ひたらせていただきます。

食べたいと思えること

2009 年 12 月 15 日 火曜日

健やかだ ってことだ。
黄金週間に 青森から買ってきた いちご煮の缶詰三社分
ちちの 味覚が復活したらねって 言ってたやつ、
あんちゃのことで 忘れかけてたけど、そろそろあけようかね・・・て話になった。
来週あんちゃの退院も決まり、今週末は 再び 外泊あり。
でも あんちゃ 雲丹やらあわび 苦手なんだなこれが。
帰ってくる前に とっとと食べないと 匂いで つらい思いさせちゃうかな?
じゃあ明日の昼は?どうしたらいちばん美味いかな?なんて 他愛ない話題に 真剣に盛り上がる。
先日いただいた 生ホタテ
豪華なもん あんちゃいないとこで食べて申し訳ない・・・ではなく、丁度いなくて良かったね
なんて 知らん人が聞いたら 人でなしみたいなこと言って 狂喜乱舞して食べた。
あんちゃ、貝類が 大きくなるほど ダメさ加減も 大きくなるようだ。
先週あたり わたくし げほげほで 「がおって(具合がよくなくて ぐったりしてる感じ)」たので あれこれ食べたい気持 作りたい気持が 生まれてきづらかったけど、
今週は 復活だな。
調子にのって 体重増えちまったい。

評判 悪っ!

2009 年 12 月 15 日 火曜日

大根の貝柱煮・・・いいと思ったんだけどなあ。
ちち曰く「何言いたいか わかんない味」ですと。
はは「料亭の味・・・というか お上品な味だよね」・・・「お上品」かあ。
うちでは「上品」だと いい感じで、「お上品」だと 薄いことを ちいとばかし 哂う・・・てとこだ。
もっと かそけき味だと「屁のような味」て なるんだ。
ゆずぽんず かけたら あらまあいい感じ(ははのみ)だったけど。
ちちとしては 先日の血液検査その他で 抗がん剤がちゃんと効いてること、
今のところは 再発は見られないこと・・・などなど 嬉しいことがあったばかりだし
もっと 油ぎっしゅなもん食べたいのになあ・・・と やや 飢餓スイッチ入りかかってるもんだから、不満でしょうよ。
でも、脳梗塞の恐れあり・・・とか クリアしてないかんな。
あんちゃのことにばかり かまけてないで、そういう心配も してるんだけどね。
ま、それだけぢゃなく わたくし ぢつは 昨日の 冷蔵庫整理と称した ハードなもん食べたせいもあいまって
ちょいとばかし 腹の調子が万全でなかったもんで 若干あっさり系な サイドメニューばかり作っちゃいましたからな。
明日のメインメニューには きっと 父が「ぜったい肉!」とかいって立ち上がりそうです。

干し海老無し

2009 年 12 月 15 日 火曜日

昨日 仕事帰り 干し海老目当てで うちの近くの スーパーに寄ったのに
もう 中華干し海老は 置いてなかった。
あんまり 売れないんですかね・・・そのうち ココナツミルクも 扱わなくなりそうな気配。
変わり風呂吹き 作りたかったのにくそううう~
でも ふと 珍味貝柱にでもしてみっか、と 作戦変更。
水にうるかして(ひたして ふやかす・・・と言ったかんじの言葉。先日 山形出身の 渡辺えりこさんが この言葉は 標準語では一言で言い表せない・・・と おっしゃってた。標準語だと思ってたんだ ちょっと前まで。)、それに ざくざく切った大根を入れて ことこと 煮ただけ。
風呂吹き・・・てよりも、大根の貝柱煮だけどね。
ゆず絞ったとこに 皮と 出汁昆布と 鰹節と 醤油を入れて しばらく置いた 即席ポン酢(昨夜 フジテレビ系列の番組 つけたら丁度やってた 作り方・・・多分)を ちょいとひとたらして 食べたら いや~ん うまいっち!
素材たちが みんな 素顔で 手を繋いでる感じの味ですた。
干し海老でなくても 大丈夫だ。

続「もじゃぽなす」問題 

2009 年 12 月 15 日 火曜日

角田弁 わからぬ方 すみませぬ。
再び 「もじゃぽなす」さすところの意味合いに疑問あり・・・てことで、メール転載
<以下メールより 抜粋>
<<「ものを粗末に扱うような様全体を指して・・・」に反論ということでもないんだげんと、厳密なる角田弁ネイティブとしてはビミョーなるニュアンスの違いにも気がかりひっかかりが・・・。
私の中に染み付いてる「もじゃぽなす」はもっと特定した、ナンてゆうか「ものを大事にできないしないダメな人(状態)・・・」っていうこと。昔よくものをなくしたりこわしたりして、母親に「あんだは五十鈴や小波と違ってもじゃぽなすなんだがらっ」っていつもいわれてたんで、そういうことだと思ってたんだ。
で、この語源について考えてみました。
「持ち」(自分の持ってるもの=所有)を「放す」(放り出す=大事にしない)で「持ち放し」→なまって「もじはなす」→さらになまって「もじゃぱなす」→さらにさらになまって変化して「もじゃぽなす」となった・・・。この新説いかがでしょうか?
それにしても45年以上も角田を離れている人間が何をいまさらって感じだけど、ムキになってしまうんだよね、なんでか。
こだわりの角田弁ネイティブ>>
文中の 五十鈴は わたくしの母、小波はその妹で わたくしのおば・・・差出人は そのあいだっこの 多美おばです・・・内輪の話ですんまへん。
状態をさす・・・といっても、ちらかしたりするのは 結局人なので、現象のみをさすのでなく その人もひっくるめてさすんだろうな・・・とぼんやり思ったりはしてますけんど。
昔っから されかまねえ ほでなす・・・な わたくし、
脱いだ服そのまんまにしてて よく ばあちゃんから「なんだべ もじゃぽなす、ちゃんと 畳まいん」と 言われてました。
それだけでなく「もじゃぐったまま 置がねで」とか「もじゃぽなすて なんだいん」てないいかたもあったので、「もじゃぐる」という動詞があるように
「もじゃぽなす」が 「ぼけなす」「ほでなす」など だめだめな感じの人をさす 名詞から 動詞に転じて 状態をもさすようになったのかも・・・と思ったりしてます。
もじゃぽなす→もじゃぽなすする ≒ お茶→おちゃする て感じ・・・違うか。
身に染みている 言葉って、ん?違うんでね?て思うと こだわりたくなる感じ わかりまする。
ただ、それぞれのうち独自の発展があるように、うちのばあちゃん周辺て、独自の 言葉遣いがあったようなんで、市場調査が叶わぬこともあり、ほんとのところはわからんのですけど。