2017 年 9 月 30 日 のアーカイブ

宮床辺り

2017 年 9 月 30 日 土曜日

夕方は

ピアノ仕事のあとに

ライヴに ゆくで

速やかに 移動

…のはずが

宮床奥地へと 迷い込む

いや 道は 迷ってない

心がちょっと 浮き足立って 迷走つうか…

かつての あれこれを たどるなど…

ふらふらと 行ってしまったのは

原阿佐緒記念館

行きたいと思ってて

ずっと行けずにいたところ

15~6年前に 仙台にて

歌人 原阿佐緒さんの 生涯を ミュージカルにした 商業演劇の

女学生時代の場面に タップを振り付けて欲しい との 依頼…だけのはずが

クラスメート役と 阿佐緒の 家の近所の 下世話な農家のおばちゃん役を やってくれまいか…なんてな話になり

なんの前知識もなく その舞台に関わった

その時 知り合いの方から

「絶対 感じるものがあるはず」と

阿佐緒さんに関する記事や 評論みたいなものを いただいたりしたのだけど

阿佐緒の役ではないし…なんて あまり深読みせず

ただ「生きながら 針に貫かれし 蝶のごと…」という歌は

何故かずっと 心に引っ掛かっていた

そののち 色恋の歌が

折り折りに触れ

まるで 同じ周波数に 呼ばれるようにかすめることがあって

うむむ いつの日か もっと じっくりと 読み直したくなるであろうな と 思いつつ 遠退いていた

それが 昼下がりに 突如

さぁ いまだ いこう と 目覚めるように 思い立った

角田市の 小学校に 一時期 転校してきてたのだって

緑を好んで 身に付けていたのだって

なんか 符合するものあって

ひっそりと 震える

いや でも それは 深い意味もなく

ただ単に 共通する部分に 強く反応して 掬い上げただけで

「符号」なんて言えるものではないのだろうけど

なんとなく 時 満ちた感

改めて 読もうかと思う

にしぴりかの映画祭へいく

2017 年 9 月 30 日 土曜日

「にしぴりかの映画祭」に 到着

今年は 本日の一本目しか 観られぬけれど

それでも ずっと観たかった 逃しちゃった 作品だから

うれしいうれしい

作り上げる方々の 熱意も

伝えようとする 温かさも 

すべてが やさしく 素晴らしい

心が耕されている方々ばかりだなぁ て しみじみ思う

受けとります

生きるとは いのちをいただいて つないでゆくこと

その営みを

目をそらさずに 見つめて 暮らす人たちを

丁寧に丁寧に 追いかけた『ある精肉店のはなし』纐纈(はなぶさ)あや監督の 作品

一瞬たりとも 目を離すことができなかった

屠(ほふ)られる場面さえ

祈る思い

ハラールは 祈りを捧げながら 屠るということが

とても 近く思える

「鶏や 魚は『絞める』て 言うでしょ?豚や牛は『割る』て言うんだよね。殺すとはいわない…いのちをいただくの『ありがとう』って」

のっけから なんの涙かわからんうちに 

どうどう と 流れてた

あぁ こうして 手もとに来てくれているのだよな

改めて 手を合わせる

差別との 戦いも

抗えぬ 世の波を 越えていくことも

いのちをいただく

いのちをいきる 

自然な ひとあしひとあし

朗らかに 暮らしを おくる 北出家と その周辺の人たち

宝物のような映画でした

朗読をききにいく

2017 年 9 月 30 日 土曜日

蔵王から 初めて通る すずらん峠 抜けて

仙台へ出たのは

聞くことだけで 物語を受けとるなんてことが 今の自分に できるのだろうか?とか

役者さんが 敢えて「朗読」というかたちで ものを伝えようとするのは どういうことなのだろうか?という辺りのことを

確かめたいような まぁ 別にそこまでの 強い思いではないけど

ツケを 支払いにいかねば ということもあったわけです

その先のことはまた のちほど…

そもそものはじまりは

ほとばしる情熱と 変拍子リズム 小気味良い レンジさんの レポートから

鷺谷浩二さん…役者らしい

朱川湊人氏の 作品に出会えて 朗読活動を 始めなさったらしい(朱川氏…直木賞も受賞なさってる方らしいのだけど 存じ上げず)

なんの前知識もないまんま

レンジさんの 迸りに まんまと 巻き込まれて

朗読しーでーを 送っていただくことになったのでした

聴こえに 難が生じてきて

音だけから 情報を得ることを ほぼ やらずに来ていたな ということを

もう一度 見つめ直したい という思いもあったのかもしれない

でも

読んでしまえば済む話を

わざわざ人の声で 読み直してもらう て なんだ?

いやいや 目で 文字を 追うだけでなく

人の 思いと 声色と 間合いで

自分ひとりでは 立ち上げられなかった 輪郭みたいなものはあるのかもしれないな…とか

しーでーは 録音レベルのこととか

わたくしの再生デッキの不具合とか

なかなか すんなり聴こえてこず

結局 有能補聴器オーティコンアジャイルプロライトミニさんを 最大音量にして デッキを 抱えるようにして聴いた

疲れたけど

こんなに 集中して 言葉を聞こうとするのは なかなかの ひさしぶりの ひたすら時間だった

昨年『道化が 語る ものがたり』で 助さんからの 提示『坂道』コラボのはなしいただいたとき 

そりゃ もう からだから なんにゃらかの 汁が にぢみでるほどに 『坂道~Les Pentes~』聴きましたけど 

あれはまた テキストもあったし 

それを どうにかせねば の 思いの受け皿へと ワンバウンドさせてた感があって また 別だったかもしれない

ま それはおいといて

昨日の Galleria Fenise 星の街ギャラリー

とてもこじんまりとした スペース

しかしそこには オーナーTAKAKO さんの 思い溢れる作品に囲まれて 濃密な空気

おうちの一室的なところで

スポットライトも フットライトもあって

お客様たちも どうにも みなさん 朗読慣れてる お馴染みさんのようでもあり

完全アウェイ感

隅っこに座りたいなぁ と 思えど

鷺谷さんの ど真ん前の お椅子にどうぞ…などと いざなわれ

あわわ と 狼狽えるあまり 大股開きで 膝に拳など握りつつ 

偉そうな おっさん みたいな 座り方をしてしまいました

そんな ごつごつの思い

レンジさんが「ぼく クッキー焼いてきたんですぅ」と ココアクッキー差し出してくださって

それがまた やさしくおいしくて(「かっこつけた味」だそうだ)

やわん と なごませてもらった

そして 一時間十分

こんだぁ 音声だけではなく 生身ありですもんね

どうしていればいい?

目を 閉じて 聴く?

演じる動きがあるわけではない

でも 表情の変化はある

有能補聴器オーティコンアジャイルプロライトミニさんを 装着したとはいえ

全くの 音声だけで受けとるに 自信はなく

髭の剃り残しや 滲む汗の 首の辺りのあたり 睨むように

真っ向から 向かい合って 受け取ろうとしてしまった

男の子の 気持ちの内側を ずおおおぉ と 手のひらで撫でてゆくような ことば

でも 他の登場人物の 台詞も あり

ひとりで 朗読することの 限界と共に 可能性というものが あるものだな

わたくしも ひとりで 敢えて 制約があることにて 表現してゆくこととて そうだものな 

朗読終了後

会場の方々が 感想など 述べられていたけど

ものがたりへの感想とか 

朗読リズムの間合いへの アドヴァイスだとか(役者さんの 先輩らしきひとや 朗読の界隈の人たちらしい)だったもんで

勉強会のようでありました

再びの アウェイ感で

口を開けずにいたものの

辞す 間際

玄関まで 見送ってくださった 鷺谷さんに

何故「たくさんの人でつくって行く 演劇には 負けてしまうけど」と 思いながらも ひとりでやろうとするのか…というあたり

問いかけてみた

ご本人も 気づいてるようで 迷ってるようで

でも そんな 逡巡は これからの 更なる 膨らみの可能性でもあるのだろうな

「こんどまで 答えを みつけておきます」て

そんな 宿題じゃないんですけど

そういうひたむきさのさきに

きっとまたなにか 見つけて行かれる方なのだろうな

汗だく

お疲れさまでした