道を巡る思い

先週の 初 関西へ 自分運転した したみちの道行き 

もう「先週」という括りになるのか!?と 驚くほど

今もあと引く 濃厚な時間だったというか

帰宅後すぐに これまた 濃いぃ パフォーマンスありだった…てこともあって

ちょ とばかし 心身が 浦島太郎的

どこかに なにかが おいてけぼりな感じのまんま

「日常」を よろり と 動いている 本日

会いたい人たちに 会えた とか

思いもかけぬ 日本海側ルートで ここしばらくご無沙汰だった 糸魚川石まみれになることができてうれしかった とか

大きく 濃い 出来事の 印象の他に

延々延々と 辿っていた「道」というものへの 思いが

雫のように 溜まっていた

便利な道に慣れてると

なんだここ 凸凹のまんまだな とか

なんだそこにいくだけなのに こんなにぐるっと遠回りせにゃならんのだ?とか

どこのおだいじんさまだおめぇはよ!?てな 驕り高ぶった思いが ぼこり と 腐臭のあぶくのように 湧いたりもするけど

道を作る て 自分一人でやってみろよ どんだけ大変か 思い知れよ!と 思う

川があったから 辿ったのだろうか?

向こうへ行きたくて 橋を渡したのだろうな

山を越えたくて 巡り巡り切り開いていったのだろうな

大昔は 住まうところあたりが 暮らしづらくなったら 移動したりもしたのかもしれない

そして ちょっと昔は 住まいから離れて やすやすと よその土地へと移ることが 許されなくなったりもして

でも なにかの必要が 生じて ゆかねばならぬとき

一気に 遠くまで行けぬから

明かりを灯すことも 易易とできることではないからこそ 宿場ができたりもしたのだろうな

こんな山々の間を通る道 よくぞまぁ 整えてくださったよ

まっすぐ突っ切ることができないからこその

うねうねうねうねの

路肩反射板が ちょ とずつしかなくても その 反射板のおかげで 崖から転落を免れていられたり

山奥 海崖沿いの 獣道のようなところでも 舗装されていて

そんなにアスファルトって この世にあるの!?て 思ったり

街灯が殆どないような 真っ暗闇道が続いたその向こうに 暮らしの灯が見えたときの 安堵感だったり…

昔の人が より 快適に 動けることに 注いでいった 思いが 働きが

すご過ぎる!と 思う

でも 勢いづきすぎて すごくなり過ぎてる!てのは

関西の これでもかっ!てな 立体うねうね道路を 見て 怖くもなる

運転しながら『むかしはえっさっさ』の 一節が 何度も 頭を巡ってたよ

https://hoick.jp/mdb/detail/13308/%E3%82%80%E3%81%8B%E3%81%97%E3%81%AF%E3%81%88%E3%81%A3%E3%81%95%E3%81%A3%E3%81%95

あれは 便利礼賛的だけど

昔の人が もっと 大変さを 体感していたことを 礼賛する気持ちで 口ずさんだよ

…ま あれとて「お籠に乗ってゆきました」なんで お大臣なのかもしれんけど

身の丈で辿れる道を ぐいぃ と 引き伸ばしてくれた 昔の人の 道づくりの技術や

移動機械…車の 技術や

情報の 伝達技術や

いつでも 寄ることのできる 道の駅や コンビニエンスストアの存在などなどに

いやはやもうありがたくてたまらんす!おせわになりました〜!と 

深々と 頭を下げる思いになってるのでした

庭の緑が 一足飛びに 色濃くなっている

蕗を 収穫したよ

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