2024 年 3 月 21 日 のアーカイブ

その人である ということ

2024 年 3 月 21 日 木曜日

年末年始あたりだったか

母の 右踝の下のあたりに

「褥瘡のようなものができています」と言われて初めて 気づいた ぼんやり娘 わたくし

そこを密着させたまんま 寝たきり というわけでもないので

なんにゃらかで 傷ついたのが 膿んだか

湯たんぽに 密着させてしまっての 低温火傷か

とにかく 慌てて 消毒して ゲンタマイシンやら アズノールやら 塗布したのだった

今 やっとこ 深めの傷が 盛り上がって 通常の肌に戻ろうとしてくれている…はずだ

長々とすまねぇ…

今朝 処置のとき「いででででぇ…でも おかげさまで よくなってんだおんなぃん」とまで 言ってくれた

おぉ いい調子

傷に気づいて 処置するまで

母としても なんの痛みに訴えもなくて

日頃 母が 集中しているのが 左半身の麻痺に伴う 異常痛覚についてとか

なんでこだごどんなったんだべいつまでつづくんだべこのいたみいっしょういでぇまんまなのがんやどうかいたみなおしてまひなおしてくださいおねがいしますおたすけください○○先生おたすけください父上母上なおしてくださいたすけてください…てなあたり

念仏のように 唱えたり

食後に書く日誌にも えんえんと こんなこと書いている

よく見えないので 目を開けているのが辛くて 目を閉じがち

痛みのために 動けない といって 動く部位さえ 動かしたがらなくて 筋力も衰えてきて 身体をまっすぐに保っていられないことも多い

聴こえもいまいちなので 聴こえない 聴かない

何より 外への興味が 動きにくい

その時によるとはいえ

呼びかけへの応えは いまいち 気乗りしてないことが多い

しっこなのか うんこさんなのか 出そうだ…と 感じるものの すこぅし 危うくなってる

腹ヂカラが 弱まってて 声が低いためか 耳の良いあんちゃに声がとどかず

夜中の しっこ助太刀 間に合わなかったらしいことありあり

内向きになってるとこ 無理矢理 外向かせるのも 酷なのだろうかね と 思う反面

やはり も少し こっちも見てくれや 気持ちも ストレッチしようや と つつく

楽観的 朗らかな おだずもっこであった…と 母のことを 言うとき 少し 過去形

性質 性格や あり方が 変わってゆくことで

その人である ということが 失われるわけではない

では そのひとが そのひとであることって 何に支えられているのだろう?

その肉体 身体で 特徴的な趣味嗜好 気持ちの動き方があって 行動の概ねのパターンがあって…だけではないよね

心身の動きあり方が ずっと変わらなくおる…なんて 機械じゃないのだもの

成長は 喜ぶけど

ある程度育った後は「劣化」として 喜ばれない てのは

「最盛期」が 嬉しすぎたゆえの 執着でしかないのかもしれない

どんなふうでも 今も その人でしかなくて

今までのよきことも あまりよくないことも すべてまるっと抱えて越えてきたからこその今

「最盛期」だけでなく

「今」だけでなく

すべてのつながりの関わりの集大成で「その人」を 支えていて

「その人」と 把握する 自分もいて

…あぁ そうすると 定義なんて ちっぽけなことなんてどうでもいいのかもしれないな

世界まるごとあってこその今ここのその人 そして受け取るわたくし

そんなあたりなのだな

そのなかで 揺れたり うなだれたり よろこんだり 色々あるだけ

とにかく そんな どうでもいいことだけど ふたつとない 奇跡的な ひとつひとつの いのちとして

愛おしんで 生き合っていこう と思う

…とか 殊勝なこと 言っといて

珈琲カップじゃないとこに お湯を注いで びたびたこぼし

ぐおああぁ!なんだこりゃなにやってんだこのやろおれさまはよおぉ!とか

にゃんこら びびらす 一人叫びなど繰り出す どたばたどさくさ粗雑な朝

さてと 己の診察に でかけねば