2023 年 7 月 7 日 のアーカイブ

7daysbookcoverchallengeSpinoff「今読んだ 2023」その81

2023 年 7 月 7 日 金曜日

7days…と名乗るものの 80days 到達

今年はこのままゆくかねぇ

近場に積んであるの ぐいぐい読む…だけでなく

やはり 買っちまったりしてるんで

積ん読サグラダ・ファミリア横に 新塔やら 読了塔やら 加わり さらに わちゃわちゃ増築

…あぶないぞ(倒壊とか 懐とか)

コロナ禍 騒がれ始めた2020年はじめ頃かな?

お家滞在時間を たのしく♪とか

読書文化復活を!とか

#7daysbookcoverchallenge という流れが始まった てのが もはや 忘れ去られてるであろ

流行は おさまっても

そこから勝手に派生させた

#7daysbookcoverchallengeSpinoff

あきっぽいとこもあるが

好きなものには しつこい もりあやこ

ワンテーマ7日間…のはずが 今年は 駄々並べ

わたくし一人で 遊んでおる

かつてもやりましたる「今読んだ」テーマ 2023年版

その81

『絵が語る八重山の戦争 郷土の眼と記憶」潮平正道(南山社)

再販プロジェクト 実現しまして

受け取ることができました

この 企画の宣伝チラシを りえさんから受け取り

受け取ってくださりそうな方に 送ったり お渡ししていたとき

「え?八重山でも 戦争あったのですか?」と 結構な 年配の方に 質問されたりしましたっけ

そうなんです あまり知られていないからこその 再販なのです!とか 知ったふうなこと 応えちゃったけど

正直なとこ 自分も知りませんで

よくわかってないけど よくわかってないから よくわかりたくて 再販プロジェクトを 応援しているのです…てことも お伝えしましたの

記録写真が残っていないのは

米軍に 上陸されていないから

ましてや 島民たちが 写真を取る余裕などあるわけもなく

潮平さんが かきのこしてくださらなかった そんなんあるわけないじゃない…なんてことにも されかねない事実たち…

八重山は 上陸されなかったとはいえ 機銃掃射などは されている

軍のために と 家を土地を食べ物を奪われ

人が分け入ることのない奥地に 無理矢理避難させられ マラリアに 次々とかかってしまう人々

「お偉い」軍部が マラリアに効くという薬を 独り占めしていたこと

朝鮮などから 無理矢理 女性たちを連れてきて 慰安所に 閉じ込め 奴隷的酷使

…それら 潮平さんが 少年の頃に 目撃して忘れられないことを

近くの方々の 忘れられない記憶を 受け取って 絵と 言葉にして のこしてくださった

むすめさん お孫さんの協力のもと

潮平さんの 語り口が活かされた 

小学生にも 読みやすいように 考えられた ことばたち(ふりがなもふってある)

しかし 慰安所…とか 詳しく説明はされていない

でも 逃げずに このひどい状況を 伝えてゆかねばならない 

今の 大人たちの 宿題 課題でもあると思う

「戦後の世界体制は『自国第一主義』では平和を維持することはできない」と 国際連合や 欧州共同体が 生まれたはずなのに

「おれたち」を 守る 名目で

「あいつら」の 存在を クローズアップしてみたり

なんだか 変な雲行き

人の命 そっちのけで

策略とか 先制とか

ゲームなんかじゃないっつうの

ちみどろの

腐敗の

汚染の

ぐぢゃぐぢゃの…

そんな日々に なだれこませるわけにはいかないよ

大きな もうけ 優先じゃなくて

ささやかに 平和な 暮らしが 

わけあう あたたかな やりとりが 続けられますように と 願う

七夕っぽく

2023 年 7 月 7 日 金曜日

仙台うろうろする 宮城県人としては

なんとなく まだ 先…な 感じもありつつ

玄関さきの いらっしゃいませお花(竹花器は 豊穣庵の かっちゃんより…だいぶ 色あせちゃいましたが 健在です)

七夕っぽく マイナーチェンジしてみました

笹竹は 水吸い上げできんのだけどね

まぁ 本日の気分として

きっと ことさらに かなしむだろうけど

2023 年 7 月 7 日 金曜日

ちょうど一年前

さきっぽちゃん(避妊済 享年 一歳)を 見送らねばならなかった日

あの時 もっと 自分が ぼ〜っと過ごさず 注意深く過ごせていたらとか

なにかしら 悔やみが 湧いてしまうだろう

あの日以来 しばらくは まつわるものを目にする度 泣いてばかりいた

いつしか さほど泣かなくなり

全く平気になったわけではないけれど

敢えて 哀しみに 滑り落ちてゆくような 心向きにならぬように つとめ

日々のことが 凍結されるような状態にはなっていない

車に乗るときは 停めてある近くの 弔いの場所に向かって 呼びかける…さきっぽちゃんの あと 相次いで 看取った ちびにゃんたちの 名前も共に…

その時は 泣いたりなどしなくなったのだけど

やはり 今日という日は ことさらにかなしむだろう

でも たとえば 8年前の5月に でかけたきり 帰ってきていない ぴっちっちっ(避妊済 その時点で 20歳)のことは

ずっとずっと 泣きながら 待ってる!と 言い続けていたけど

いつしか泣かなくなった

いつもいつも 思い出していた あの 感触とか においとかも

今では だいぶ薄れている

日々の ねこねこしい じゃわめきに 凌駕されたりもしているのだろう

でも 忘れきってはいない

忘れたくない思いもある

いっぱい 悔やんで泣いて

そうすることに疲れて かなしみくやみが 脱色漂白されて

こだわりしがみつきが いつしか 手放されて

愛しい存在 という 核だけが ぽこり と 浮き上がる日が くるといい

難しいのだけれど

とにかく 今は 愛しい めのまえの いのちたちと

ひたすらに 生きて暮らしてゆく

その日々の 連なり 重なりにしか

癒やされないのだから

「requiescat in pace」