2017 年 8 月 のアーカイブ

つっちー先生が 撮ってくださった ぶんぶん

2017 年 8 月 22 日 火曜日

つっち~先生が 撮っててくださった
ぶんぶん At 女川から未来をひらく夏の文化祭

和のあかり展

2017 年 8 月 22 日 火曜日

たぶん 毎年 恒例なのだろうな

和のあかりにおける ねぶた(ねぷた?)

お江戸で 青森

棟方さんも おられた

爆発的 エネルギーみたいなもんは

その土地の 土や 風…過酷を耐え抜く 時の長さから 生まれるのだろうかね

ゆる~ん の ほどけぐあいも 好きだけど

溜めて込めて ど~ん!も 好きだ

人の 思いの勢いの それぞれなりが 好きなんだ

先週の お江戸…目黒雅叙園 百段階段 和のあかり展で

「石巻」に 会ってました

階段一段一段に

そして 時折 思わぬ棚のとこに

石巻こけし

めんこい

初めて会ったはずなのだけど

おぉ いつもどうもね みたいな気持ちで 面と向かった

ひたすらのぼるでなく

一段 一段

ふふふ♪とか

うわ…とか

ご挨拶&驚きで(思いもつかなかったような 面構えの子もおった)

のぼったよ

27日までやってます~♪

木が教えてくれた話

2017 年 8 月 21 日 月曜日

若い頃

壁が作られた

阻まれることに 挫けずに

むしろ盾にして

伸びあがり

肘ついて 向こうを眺めるほどに

逆手

手玉に取るが如くに

ゆけよ と

樹が おしえてくれた話

どこ吹く風の かかし

2017 年 8 月 21 日 月曜日

哀愁の背中

でも 振り向いたら

案外 にやにやしてるのかもね

勝手に ものがたり 重ねて

しんみりしてみたり

なんだよぉ なんて 腰砕けたり

そんなこんなで 騒がしい声

どこ吹く風の かかし

愉し

たまの数だけ

2017 年 8 月 21 日 月曜日

たまの数だけ

微妙に違う 世界の映りがあって

ましてや 目玉 あたま 2つも たま 通せば

そりゃ 違うわな

己のこころとからだのずれにも 気づきつつ

でも ひとつの世界

いくべよ

太鼓で始まる「女川から未来をひらく夏の文化祭」

2017 年 8 月 21 日 月曜日

太鼓の 振動に

鼓動が 共振して

そこいらの 空気とどうかするみたいになって

ああぁ と いつの間にやら 泣いてしまう

昨日の 女川から未来をひらく夏の文化祭の 

オープニング「竹浦獅子振り保存会」さんたち

ぶんぶんメイクが 乱れぬように 

涙ふきふき

撮影ちょろちょろ

わくわくの 幕開け

映画『新地町の漁師たち』観ましたる

新地に 親戚がおる とか

ちょこっと いったことがある なんてな わたくしが 語ることばもないのだが

語れなくても 自分なりに思い 伝えて行かねばならないことなのだよな と 改めて思う

原発事故があってしまった今 それでも 暮らして行かねばならぬ日常を受け止めながら 感じ 考え 動く ということ

監督さんは 都会の めんこい 優男風なのに(失礼!)

なんとも 骨太さを 骨太のまんま 掬い上げてくださったもんだ

むしろ こんな映画を撮りたい…という 思い入れや 目的なく 現地を訪れて

人と出逢い 丁寧に 重ねていくことで その地の 日常 心情が 形結んだのだろうな

安波祭りについて 語る 漁師の 小野さんの

御輿に宿る たま(魂とか 霊とか)の 話

笑いながら「いまそういうのはないけど」と 仰有りつつ

「でも そういうのは なくしちゃだめなんだ」と きっぱり語る

漁師の魂を 持っておられる と しみじみ思う

その場で その生業で いきていくことを 骨身からわかっている人のことばだ

だからこそ 怒りと共に 未来への不安も 懸念も持ちながら しかし 東電の人にたいして(汚染水を 海に流すしかない説明会のいきさつで)「仕方ないのだろうけど」なんてな 思いやりさえ 持ち合わせる

監督さんと 新地町の漁師さんたちと 地元 女川の漁師さんたちとの トークコーナー

漠然としたような質問にも

現場のことばで しかと 伝えてておられる 漁師さんたちにも 惚れ惚れだ

「本格操業準備段階」ということばが

まだまだまだまだ 復興の 終結など 見えてもいないと思う

つい 経済のことも大切だとか 意見もあろうが

「オリンピックとか 受かれてる場合じゃねぇだろ!」てな 毒づきが また 首をもたげる

お金の使いどころ

知恵のだしあいどころ

目の向けどころ

何とかせねばね

昨日は「女川から未来をひらく夏の文化祭」に 出演したのですが

ふらふらたのしく過ごして

お土産 たんと 買ってしまって

「観光行楽さいったのか?」と 訊かれる始末

果物やさんで 買った パイナップルジュース 飲みながら

締めの phoka さん ライヴ 聴いてるとき

堪能 ということばを なんども 飴玉みたいに 転がして 味わってました

ほんとは お片付けも ごっつり お手伝いしたかったものの

土屋さんに「帰る道のりのことまで ちゃんと考えてます?」と お気遣いいただいちゃったり

坐骨神経痛的 不具合の懸念もあったし…で

「ビーチボールしぼませてくれた人には 一個あげます」てとこ 中心に やらせていただいて

めでたく 欲しかった 緑のビーチボール ゲット♪

一回で 運べぬほどの お土産と

一回で 思い返せぬほどの 思いと

いっぱいいっぱい抱えて

満ち満ちの 道のりでした

ありがとうござりますた

切られてなお

2017 年 8 月 21 日 月曜日

摘んどいた 茗荷が

翌日 花開いてて

はっ と する

摘んでしまったものは

息絶えたわけではないのだな

切り花も

切られてなお 開いたりもするしな

生きる

いのち

いろんな形

そんなことへ ことごとく

畏敬の念

己の 息づくという かたちのことを

改めて 思い巡らせる

あの頃 育ててもらった

2017 年 8 月 21 日 月曜日

駐車場に 車停めて

河北TBCカルチャーセンター パントマイム講座に向かう途中

「あっ 先生っ♪」と 声を掛けてくださったのは

20年近く前 出逢った(ピアノ教室にきてくれた) お子の かあさま

「お会いしたかったんです~♪」と しばし立ち話

そのお子の(もういい年頃の娘さんだが) 健やかなお話やら

うれしいうれしいあれこれのこと

「今でもずっと『先生』て 思ってるんです」て…

あぁ

「先生」呼ばわりされるに 全くもって ふさわしくない 出で立ちの わたくしでしたけど(尻にも 継ぎ接ぎ 胸当てズボンに 「ねないこだれだ」斜めがけ幼稚園バッグ)

ピアノ教室 と いいながら

与太話ばかりで

なんだか わかんない 時間だったろうけど

でも そのお子が来てくれてた頃の

ほんっとうに 楽しそうに 学校の話を教えてくれて

友達と 時間をわけあったり アイディアを 出しあったりしていた姿は

ピアノ教室を やるときに思った

教科書棒読み的な 譜読み弾きではなくて

「あ♪」て 浮かんだことを 浮かんだかたちのままに 相手に伝えることができる ことばをえらぶように

思いを伝えられる 力加減

音で伝えられたらいいね…てな

ゆるん とした 目標を

くっきりとした 輪郭にしてくれたのだった

励まされてたのは わたくしだったんだよ

もっと 音楽の道でのこと 伸ばしてあげられたのではないか なんて

反省ばかりだったけど

ピアノから とっぱずれたような あの時間の てん てん が

今の 健やかさのどこかに 繋がっててくれてるのかな て

今日また 励まされたよ

曇り空 見上げながら

涼やかに 晴れ晴れした気持ち

ありがとうありがとう

パンで にこにこ

2017 年 8 月 21 日 月曜日

昨日の帰り道の 燃料

ficelle のパン工房 清美さんからの 差し入れパンたちであった

健やか 穀力 ぐいぐい きますわ

その力

腰辺りにも 効いてけろ と 拝むように 朝も いただきましたる

んで 腰辺りの不都合で 午前中仕事 休む といったら

心配よりも なんだか うれしそうな 父

父も よたよたで 不安てんこ盛りだからなぁ

でも なんもお構いしませんが…

んでもって 清美さんの あんパンを 

ちょ と 焼いて 出したらば

これまた嬉しそうに 頬張って

途中からもう わたくしの話(昨日あったこととかね) 聞き流してたりもして

いや まぁ わたくしにとって うれしいあれこれ…とはいえ 父にとって どってことないし

大したことなんかいってませんけどね…

数日ぶりに「うちにいる」感を

そんなに よろこんでくれて うれしいやい

パンの喜びが大きいだけかも知れんけど…

うまく休めて

2017 年 8 月 21 日 月曜日

おりこうというかなんというか

坐骨神経あたりの 痛み

本番中は 全くありませんで(もしくは どーぱみんあどれなりんあたりの作用で 痛感 麻痺してた?)

しかし 帰宅後

「いますからっ!」てな 声高主張始まり

今朝 恐怖の 寝返り困難

…す すまぬ…

起き上がって 角度さえうっかりせねば なんなく動けるという感じ

でも 無理は禁物だ

午前中の リトミック仕事 お休みさせていただきましたる

夕方の 河北TBCカルチャーセンター パントマイム講座に出動するまで

休息であります