食べること

みんなが ご飯を食べる時間に お腹がすくとは限らず
しかも 昔は 食べる速度は遅いわ 他人と共に食事するのがつらいわ・・・で、
それを隠すために 一生懸命 食物を摂取する・・・というような状態だったことが あった。
今は だいぶ健やかに 食べてますが。
食べることが好きなのに、気持ちよくない状況で食べねばならぬ・・・てのに順応するのに 時間かかっちゃったんですな。
幼稚園でも みんながお帰りの用意をしているのに めそめそ隅っこで 弁当箱とにらめっこして、友達に励まされれば励まされるほど おえっ・・・て なったことが 生々しく蘇る。
だから、なかなか 食べることが出来ずにいる子には どうにかして 怖くないんだよ~て 思ってもらいたくて あれこれ思いめぐらせすぎて うろうろする。
これ、半分だけ食べてみよっか?・・いやだ~
じゃ そのまた半分・・・ん~・・・
ええい!もう半分じゃ・・・ちいさっ!
ほ~ら食べられた、また半分・・・え~もっと食べられるよお
だめだめ、はんぶんずつ食べるって約束したじゃない・・・なんて、遊び食べギリギリで申し訳ないが。
食べる・・・て、相当分かち合える人と共に・・・でないと 難しかったんだよな。
周りみんな友達・・・て思えた高校の頃は大丈夫だったのだけど、大学合同で合唱サークルやってたとき、きつかったっす。
気になる人がいたりした日にゃもう、合宿所の食堂にて異常に固まるわたくし。
手は動いてるのに、目線が醤油ビンから離せなくなって、焦った友人が 色々フォローしてくれたっけな。
んで、アルコールに頼って開放したため、学生時代の わたくしの呑み方は 結構すごいことやっちゃってました。今はしません ご安心を。
何でかな?て考えて、むき出しになる 食べる・眠る・ひる(排泄)・・・てな生理的行為なんて 見ず知らずの他人とするもんじゃないからだ!と思い至って みんなに言ってみたが「何言い出すのあんた?」てなかんじで、あんまり共感得られなかったなあ。
最近読んだ 岡本太郎『人間は瞬間瞬間に、いのちを捨てるために生きている』(文庫ぎんが堂)には 食べることについて「向うの”いのち”がこっちに伝わってくるような。”いのち”対”いのち”」・・・と。
佐藤初女『おむすびの祈り~「森のイスキア」こころの歳時記』(集英社文庫)には 「共に食べられるということは、たがいに信じ合っているということなのでしょう。」・・・とあって、なかなかうまく 言い当てられなかった 核のあたりにあったことを、わかりやすくぽんと 示してもらったようで 嬉しくなった。
食べることで 共感できる人とは 信頼関係結びやすいよなあ・・・と痛感する。
佐藤初女さんの本の中に出てきた「穀力(ごくちから)」という言葉に 触発されて、ご飯食べたかったのに 時間とタイミングはずしてそのまま 電車に乗ってしまい、手元にあった「小腹が空いたら・・・」云々という ガムを噛んでみた。
これ、噛んでどうせいっちゅうんだ?
食欲を馬鹿にすっと ばちあたんぞ!と 腹立たしい思い・・・空腹って 危険。

コメントをどうぞ