「かわりに」

何を見ても 関連付けて 泣いてしまいがち

哀しくならない時間も 確かにあって

わは♪大丈夫ぢゃ と 油断したとこに

ぶわ…て やってくる 涙の波

…おいおいおい 制御させてくれよ と 思う

みみげながながちゃん(避妊済 享年3歳)の存在とか 失った出来事…という はっきりとした かなしみの一点ではなくて

愛しかった…いや 愛しい存在の喪失 という 大きな穴に 融合しつつある?てのも うすうすとは 感じている

かなしむってなんだろう

愛しい と思う気持ちのあり方って どうなっているんだろう という

あまりにもとらえどころのない 大きなものに 思いを巡らせて ぼう としてしまう時間が 多々ある

そんなんばかりしてると うまく暮らせなくなるので

ぼう と してしまう「かわりに」

種を蒔こうと思う

今まで 成功したことのない ピーマンの種 湿らせておいたのから 根っこと 芽が出ていた

トマトの種からも(ミニだけじゃないかも…わすれちまったが…)

そして 昨日 いくつか 種を買った

今まであったはずなのに 消えてしまった 人参 鬼灯 紅花 パクチー バジル

失ったものは 取り返しがつかなくても

これから 手に取ることができるものがある…かもしれない

そのものの「かわりに」ならないとしても

「かもしれない」という 希望のようなものに 慰められたりもして

また ひとあし 踏み出す

コメントをどうぞ