つきあう

午前中は

デイサービス お休みした母の

東北アララギ会「群山」歌稿 仕上げの お付き合いの傍ら 読書

なかなか 集中して 読み込むひととき とは いえないものの

ゆるりと やすみやすみ 読めた

しかし…なんとなく 充実感が 薄い

連休も 一旦今日で たちきれるてのに

何してたんだっけ?

まぁ 何かしなくちゃいけないわけでもないし なにもしていなかったわけでもないのだけど…

思えば 連休中に あれしようこれしよう♪と

展望はあったはずだった

始まる前は うきうき並べるものの

目先のことに 手をつけ かまけて

あっ という間に 展望の横を 駆け抜けて

思い描いたのと違う道を 通ってしまう感

いつもそんなだ

ちょいと 振り返り

やれずにいたことやりたかったことを 思い返してみる

展望の一部

作り物 繕い物…針糸を 手にする時間が ほとんどなかったかな?

そのあたりの 空虚なとこを 彩りよく 塗りつぶそうか と

針箱出して 布出して

あっ ボタンつけようとしてたの そのまんまだった とか

マスクリメイクしようと 置いといたんだった とか(中学生くらいから 冬場マスクマン変身のわたくし…その頃からの 変色したガーゼマスクも 捨てずに取っておいてるのよね)

飯台の上 もりもりごしゃめしゃに お道具広げて

午後は しばし お針子しようと思う

まだまだ このまんま 使えます マスクら

もういい加減 使うのやめたら?てな 変色 色移り ゴムべろべろマスクら

マスクについてた 目の粗い 当てガーゼら

ちょっとほどいてみた マスクら

これの 三倍くらいは まだ 部屋のどこかに 眠ってるんだよな

ちょっとした マスク富豪だわね くすくす

…愚にもつかぬこと 浮かべて

ええっと…わざわざ 手作りマスク作らんでもいいのかもしれないけど

よみがえらせたい 布たち いっぱいあるから

ちょいと 思案

手縫いマスク

得意?の 針金あてて カーブの形を決めたりもして

ぢわぢわ 進めておりましたが

あまり 乗り気になれん感じ

縫い物 好きなのになぁ

しかし

その わけもわかった

小中学校の頃から 冬場マスクマンの わたくし

慣れ親しんだガーゼマスク

ここ数年は ガーゼの上に 不織布使い捨てマスク(今ほとんど捨てずに 洗って使っとる)重ねて

二重マスクマン歴 長いので

立体マスクが いまいち馴染まない

それならば やはり たくさん手元にある まだ使える ガーゼマスクを 基本にして

その上に被せる 不織布マスクの代わりにする

マスクカバーとして こさえよう と 思ったのでしたが

わたくし 切れっぱしが たくさん発生するのって

あまり うれしくないのでした

無碍に 捨てられず

切れっぱし袋みたいなんあって

それに入れたりもするけど

継ぎ接ぎにも 用いられないような 薄いガーゼの 切れっぱし

詰め物になら 使えるかな?と 思いつつ

それもなんだか 残念な用いかただよねぇ なんて

分銅 上乗せ的に

気重になってゆくんだな

貧乏性というか

布にさえ アニミズムかよ!?だ

じゃあ もっと 切れっぱし 出ないような やり方考えりゃいいんだけど

カバーになるような 硬めの布は

平面ギャザー寄せに 向いてないこと この上ないしね

ガーゼ裏当てのは 形を 整えたり切り落とさないで 折り込めばいいかな とか

工夫は重ねつつも

結局 完成に 至らぬまんま

あ~

なんか 自分の 気持ちが 面倒くせぇ

また 珈琲でも 淹れっかな

顔のカーブに ぴったりさせ過ぎた

試作マスクカバー

黙ってるのに 騒がしい感じに見えるのは

布の 模様の 饒舌さなのかもしれんが

かつて タップレッスン受けていたときに

なんのきっかけか

タップ 踏んでたわけでもない 喋っていたわけでもないのに

「森さんて なんか 黙ってても 騒がしいよね」と

先生から 言われたことなど 思い出す

なんなんだよまったくもぉ…と

過ぎ去ったひとときの一言に

ムッとしつつも

なんか 間違ってもいないのかも なんて 思う

一応 一枚 仕上げるまでは やろ

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