じいちゃんの おかげさま

幼い頃は

辛い 大根おろしが 苦手だった

噛んでるのに ちくちくする 沼海老(昔はこれを「桜えび」と 呼んでた)も 苦手だった

朝の 目覚めぬ もやりん と したところに

朝御飯の おかずとして ダブルパンチで でてきて

おえっ など なりつつ

でも うちは 食べ物を残すこと自体

叱られるわけではないものの

それは 大変に 罪深きこと…てな 空気があって

横では じいちゃんが「今日も 食べ物の恵みに感謝して!」なんて 

もんのすごく 幸せそうに あれもこれも食べてて

ううぅ 残せん…と

胸のうちで 震えながらも

がんばって 食べてた

「ちりごみ(烏賊の塩辛)」だって

蕗の薹味噌だって

こどもの 好むもんじゃなかろう

やはり はじめのうち

ななな…なんぢゃこりゃ!?だったものの

「んめぇべぇ♪んめぇなぁ♪幸せだなぁ~♪」なんて

じいちゃんの 曇りなき 幸せ顔

もう 反論なんて することも 思い付かず

これは んめぇものなんだ きっと そのうち わかるんだ…と

努力してたのよ

えらいね…おさないわたくし

しかし そんなこんな経て 

今や ありとあらゆる 食べ物

もしかしたら 食べるためのものでなくても

食べられるならば うれしい♪なんて 思い

苦手なものが ほとんどなく

おかげさまだなぁ と 思う

「この子が食べたがってるから」なんて 

まだ 味覚の間口も 広げられてないうちに

お子の顔色うかがって

食べたがるもの 食べやすいものばかり 差し上げてると

せっかくの 豊かな味世界の 幅も奥行きも深みも 

開拓できないであろうよ とか 思う

でも それには 無理強いとか

食べなさい!と 凄むのでなく

大人が 全身で 食の喜びを あらわしてゆくことが 大切なのではないかなぁ

そして そんな喜びを 受けとってもらえるような 信頼関係を 育んでゆく てことも やはり 大切なのだよな

あ でも おんなじ環境にあって

母も あんちゃも

似たような わがまま好き嫌い てんこ盛り

すべての人に 通用する訳ではないってことですけどね

ちゃんちゃん♪

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