ぐっときすぎた

金子光晴の 詩「寂しさの詩」から 生まれた

…と言われても それを読んだことがないまま

繪魯洲さんの作品に 会いにいったわけですが

読んだら読んだで また何らかの 着想の妙やら 納得にも たどり着けたりしたのでしょうが

なんかもう そんなこと どうでもよかったのですわ

そこがもう 世界だったから

宇宙の 

胎内の

思いという 海のうごめきを

蝋けつ画というもので あらわしつつんだ空間に

たゆたい たたずむだけで

なにかが揺さぶられる

絵が 息づかい 吹き掛けてくる

描いてある 繪の中の字を 読もうにも

別の ざわめきに かきけされる

今は 読まずともよい…そんな感じか?

デザイン的な 仕切りのような線が

ここは 作品の世界だと 思い出させてくれる

でなければ そのまま吸い込まれそうだった

このまま ここをねぐらにしてしまいたい なんて 危ないことさえ思うような 安堵

…でも きっと言葉や作品の 奥に見え隠れする 熱く痛く身を切る思い…

繪魯洲さん ご本人とも お話しできて

その 物腰の柔らかな 余白がたくさんあるような 広々した感じ

うおおぉ 素敵な方に お逢いしてしまったぞ

入り口の ブランコやら照明も 繪魯洲さん作ですて

乗りたいっ!と思ったら

「写真撮りますよ」て

すっかり はしゃぐ こどもだこりゃ

迷子の 心配までして

帰り道は 駅まで 車(かっちょいい ちゃんと鉄でできているのがわかる 繪魯洲さんの作品と似た匂いのする しとろえん)で 送ってまでいただいてしまい

きっとまた来る 会いに来るぞ などと

こっそりきっぱり 思う

鉄の馬の ちょっとしたもの 鞄に入れて

撫でたりしてみる 余韻…

傷負いてなお 血流してなお 命の焔もやし たぎる思い 形成す 言葉成す なにをか作るという 不毛で生かされる この身に宿るものを 思ふ

…そんな 思い ぼこりと うたかたに 湧き上がる

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