家も 死ぬ

浪江町大平山霊園から 楢葉町 遠隔技術開発センターへ移動のバス(国道6号線 帰還困難地区)のなかで

引き続き 清水修二さんからの お話

帰還困難地区の除染は これから始まる

しかし 周りの除染が済んでも 人の住んでいなかった家は 住むことができなくなっているものが多い

家も「死ぬ」のだ

普段 住んでいる家では たいして掃除などせず 屋根のメンテナンスなどもしていなくても 住む形を 維持していてくれる

しかし 人が住まない建物は 誰踏まずとも 床が抜け 屋根が崩れ落ち 壁も 剥がれていく

そこへ 獣らが侵入もしたりして 崩壊へと 後押しする

帰宅できますよ といわれ

補助がなされたとしても

作り直そうという 気力財力のある人は そんなに おられるわけではない

年代もある

「帰りたいけど 若いものに任せる」と ことばを濁す そこで生まれ育って歳を重ねた人は 多い

解体しても その廃材は 汚染されたものとして 処分されずに 仮置かれる

かつて 原発の誘致で 沸いていた 浪江や小高には

当時の 町長さん(まつくらたかしさん 故人)が「多くの人が 原発を待っているかもしれないが 自分は 原発が安全なものかどうかがわからない わからないうちは 賛成しない」と 公言し

かなりの批判を受け

誘致に成功した土地をやっかんで「向こうには蔵がたって こっちは (貧乏なままで) 腹が立つ」という 揶揄が 流行したのだとか

町民への 啓蒙冊子は「間違ったことは書いてないが 大事なことは書いていない。放射能は危なくないとかいてあって そのあとすぐに 防護について書かれていたりして 実は 親切ではない」

双葉町に入って 道端の 放射線量 表示板 0.767μsv

大熊町 2.014μsv

「廃炉工事雇用はあるけれど 人工ゼロのまちです」

「富岡も 人が戻って来てはいるけれど お墓を守れなくて お寺が廃業に追い込まれています」

「ウクライナでは 内部被爆対策を しっかりやっていますが 福島では 外部被爆対策が先行しているようです。内外合わせたものが妥当なのですけどねぇ…」

被爆に関しての 健康手帳を配る話があるものの

福島以外に 避難しているかたのなかには 福島から来た と 未だに 口にしたくないから そういうものは「いらない」と いっているかたもおられるとのこと

「ここは 田んぼだったのですよ」という 藪を見る

「ここいらの 除染は これからなのです」かつての住まいの 崩れ落ちそうな 屋根を見る

何をどこからどうしたら うまくいくのだろう

しかし 手に負えん と 手放すことはできない とも 思う

あまりの 課題難題の多さに

次の見学現場に到着するまでに

あたまうしろのところが 煮え煮えに 熱くなった

しかし 笑店街として 住みよいまちとして 考え抜かれた ニュータウン建設をも 見る

不安の上に 建てられているとしても

前を向いている人たちがいる

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