浪江町大平山

24日(月)

浪江町大平山霊園へ

ゆく道々

除染 解体 建設…

作業をしておられる方々あり

帰還困難地区を ゆくゆく 帰還可能にするため

しかし 手付かずのところのほうが 多い

すぐに帰れるだろう…と 無造作に 停めたような 車

人のいた 暮らしの気配が 草ぐさに 呑み込まれている

バリケードは その場所の 持ち主さえも 立ち入ることを許さない

「途方もない」という ことば ばかりが 浮かぶ

小高い霊園の すぐ先

「あれは 津波で打ち上げられた 瓦礫なのです」と 指差された

八年手付かずのところ

その先には 震災遺構になる予定の 小学校

せめてもの救いは その学校は 当時の校長先生が 地震があったらまず小高いところへ避難して戻らないこと…を 徹底していて 速やかなる 避難行動ができて

当日の 津波の 被害で亡くなった お子達はいなかったということ

しかし 大人たちは それまでの 地震による 津波が ほんのわずかの 高さでしかなかったから…と たかをくくってしまっていた

家の様子を見に戻って 津波に呑まれた方々

津波だけではなく

見えない波…放射能にも 呑まれたため

救助や 捜索隊は しばらく立ち入ることはなかったあたり

「まだ 見つかってないかたは…」

数字は よく聞きとれなかった

でも数は問題ではない

「わたくしの 親戚も そういう亡くなりかたをしまして…」

さらりと おっしゃる…決して さらりとした内容ではない

取り返しのつかないことが あったということ

更に 上乗せされているということ

ただ ただ 手を合わせた

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