届けようと思う

大好きな おしゃさんの 訃報をうけて

本日の お通夜には うかがえないから

まずは アートイベントでやる 作品に 

追悼の 思いを込めよう と 思ったりもしていた

作品をやる前までは

涙がにじみそうになったりもした

でも やはり 始まってしまうと

そんな 小手先の どうにかしよう という 思いは

取り落としてしまうものだね

終わって ふうぅ と ひといきついたあたりで

あっ と 思い出して

取り落としたものを さがして 見回すような こころもち

でも それでよいのかもしれない

何年か前

おしゃさんが ジャズダンススタジオ グァテマラさんの舞台に 振り付けなさったとき

打ち上げの席で

作品にたいして 真摯なる思いを

そのものに込める思いを 熱く語ってくださった ことば

「振りをなぞるだけとか 綺麗に見せようとか…その先の 思いだけが 空回りするのじゃない表現…音楽を ダンスを 如何に身体が 語れるかが大切」たしか そんなような話だった

「森さんならわかるだろう?」なんていってもくださって

恐れ多くも 是非に いつか 振り付けをしていただきたい話なども しちゃってたのだ

…なんてことを はらりほろりと 思い出して

作品のなかに 思う気持ちを込められたわけではなかったものの

作品を 体言する…ということを

捧げた

遠くても

ちいさくても

欅はっぱの 間を縫って 

ぱたり と てのひらに 届いた 雨粒みたいに

届くのだと思う

届けようと思う

コメントをどうぞ