根っこのことまで 思い至らずに

『人体の不思議展』が 告訴されていると
大本の 版権持っているところではなくて
今催している 京都のイベント会社が 訴えられているのか?
詳細聴き はぐりました すんまへん
わたくし 韓国で 見ました これ
見る前に 承諾を得た遺体 もしくは 刑罰を受けたものの遺体を 特殊加工した・・・とかいう うたい文句は 新聞で知ってはいたのだけれど
それが ほんとうかどうかについて 深く追求はしていなかった
しかも 見た その時は いわば 突然降ってきた 失意のどん底 だったもんで
ふらりふらりと 痺れるような身体ひきずって 何も考えずに 会場へ行ったのだった
んで 遺体 死体 標本・・・?の数々の前で
所詮 人なんぞ このような物質になりえるのだ
この遺体には 生前の 思いの切れ端もこびりついてなどいない・・・少なくとも わたくしには見えない
永遠に残るわけでも この身に こびりつき続けるわけでもない 失意・出来事など 何ほどのものか
・・・なんて 一瞬 元気になれた・・・気がした
ある意味 救われたので
ほかにも この催し自体に 学んだり 救われたりする人もいるかもしれないな と思う
望まずに 標本にされちゃったさんがいたとしたら まずい
意思表示が出来ない人(原告の方が 新生児の標本について 言及していた)についても まずいかも・・・と考え込んでしまう
金儲けのために 関わるものがいるとしたら ダメだ
催し物自体について 1つの答えが すぐに出せない
遺体たちの 来し方行く末を 思い 
あの時は ありがとう と 手を合わせた

コメント / トラックバック 2 件

  1. ぐりろたるぱ より:

    つらいことがあっても時間が一番の薬・・・
    というのは身を以って経験しましたが
    それはつらい経験のみならず
    色んなケースに当てはまるからこそ
    お墓あばきだって、古いってだけで
    「遺跡発掘」に豹変しえるのでしょうかね。
    思えば祖父母・曽祖父母らいまでは
    肉親の情が湧くけれども
    それ以上さかのぼると、感情的にはてんで他人レベルだったり
    思った以上に「時間による線引き」ってものは大きいのだろうか。

    • bunbun より:

      そのものに どれだけ 想いを注ぐか・・・によっても 変わってくるものですかねえ
      身内が献体する・・・てなったら やはり 心乱れるだろうし・・・
      「時間が薬」といえば
      辛さを 恨みに変えて
      時が流れていく中で ずっとこだわり続ける 
      変わらないままでいることに 大層心を砕いている人もいて 
      それはそれで1つの才能かも・・・臥薪嘗胆・・・なんて思ったり
      あれれ なんか変な話にそれちまった
      ふと 見ず知らずの人に 思いをはせたり 感情移入しちゃうと
      そこいら中 想いをそそがねばならぬ羽目になり 
      生きとし生けるものすべて・・・なんてまでなると それもまた なんもできなくなっちまうもんで
      自分の身の丈 許容範囲で線引き
      でも 己のサイズも把握できず 引いたり消したりうっちゃったり
      とりとめなく うろうろじたばたしてますわ

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