逆に考えてみる

哀しい思いは
あるはずのものが ない と感じたときに 生まれることが多い
それが 勝手な期待だったり
こうあるはず・・・なんて 経験に安住しているだけだったり
あることを あるがまま 受け取っているようで
いつのまにか 希望推測期待のフィルターかぶせまくりで 待つ
「ある」ことなんて 奇跡のようなものだ とか
「ない」ところに立って ものを見たほうが 喜びが 大きくなるかも
なんてなことを思う
この頃 マイナスポイントが 溜まってきた感じ
自称「ポイントおばちゃん」だとて こんなのいらん
マイナスポイント在庫一掃整理すっかな
愚にも付かぬこと 思いもてあそぶ 秋の夜長

コメント / トラックバック 2 件

  1. ぐりろたるぱ より:

    あぁ・・・嘆息。
    そうなんですよねぇ。
    私が抱える感情のもつれも
    相手がいつもそこにいる、という前提に基づく
    うらみつらみであり、怒りであり。
    目前から対象が本当に消えてしまうとなれば
    そんな感情もふっとんで
    あせってしまうの目に見えてるのに・・・のに、
    憎たらしいけど結局そこにいて欲しいって素直になれないのは
    なんでだろう。。むぅ。

    • bunbun より:

      意地張って いぢわるいっちゃって
      でも いぢわるしたいわけじゃなくって
      いぢわるするほど 焦がれた思いが じれすぎてこげこげになってこじれちゃったから そこ乗り越えて 迎えに来てよ・・・みたいな
      自分から行けばいいのに なんか 悔しい・・・なんて 自尊心の肥大もてあまして 隠れているうちに 相手が 鬼ごっこに疲れて もう探しにいくのや~めた・・・みたいなこと 
      やはり あると 哀しさ倍増しどころか どツボにはまっちゃいますもんな
      「言っちゃったほうが負け」てな思い 結局 勝ってどうなるもんでもないのに 
      出し惜しみして 自尊心守ったところで 壁は出来ても 分かり合う道は通じない
      文字にはできても なかなか実行できぬ わたくしですだ

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