あの出会いがあったからこそ

20数年前

毎週木曜 鈍行で 東京へ パントマイム お師匠 はとちゃんの ハトリミームラボへ 通っていた頃

そして 所帯を持とうか と 思い始めた矢先に 相手に 外国のまちなかで あっさり置き去りにされて振られて

見た目 変わりはなくても かなり 胸の奥の根深いところで 意気消沈していた頃(病みかかっていたことに気づいたのは 置き去りから二年後くらいだったという体たらく)

帰路の 電車の 隣の席に座った人…

HAJIおぢちゃんとの 衝撃的な 出会い

それがきっかけで

イスラーム?

アラビア語?

少しずつ開かれてゆく 未知の扉

そして 意気消沈の中

なんでこんなに!?というほどに 心配したり 祈ったりしてくださる方がいてくださるということに

希望の光を ひとつ ひとつ 灯していただいたのだった

震災の時

10日くらい 通信手段が 途絶えていて

やっとこ繋がったら

留守番電話に 10件以上

HAJIおぢちゃんからの 超早口のメッセージが入っていて

何を言ってるか もちろんわからず

その頃の アラビア語の先生に 聞いてもらったら

「あなたがいきているかしんでいるかわからないうちはわたしもいきているかしんでいるかわからないきもちでしんぱいしていますどうかかみのまもりがありますように!!!」的なことを 何度も何度も何度も 繰り返し 言ってくれていたのだ と

数年前 体調を崩しているという メッセージをもらい

頻繁にあった「元気なのか?元気なら私も幸せだ神の平安がありますように」という 電話も 途絶えがちになり

心配していたところ

数年前に 顔本つながりコンタクトをくださった方が HAJIおぢちゃんの 息子さんだったと わかり 

その方から 先程

「父は昨年1月に亡くなりました」との 連絡を頂いた

あぁ…なんとも…

あの出会いがあったからこそ

いまの あれやら これやらに 繋がっているんだ と しみじみと思う

ちょ と あとから追いかけた うちの父にも 面会できたろうか?なんて思う

相変わらず 心配してしまうような 暮らしぶりの わたくしだけど

しょうがないねぇ なんて 笑ってみててくだされ

あの日「ゴハンタベナサイ!」と 手に握らせてくださった 千円札と 電話番号のメモは

今でも 大事大事に 持ってるのです

まだまだまだまだ 活かしきれていないことばかりだけれど

繋いでいきますね

أنا سعيد لأنني التقيت بكم.
سلام الله معكم.

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