「情操型の発見」つうか…

昨日読み終えた 森田真生さんの『数学する身体』のなかで 岡潔さんの言葉を 紹介している中で

己の作品生み出しに関することに 通じとる!と 膝を打った一節

「不低域イデアル」と名付けた概念の理論は 「インスピレーション型の発見」とは違って 上から着想が降りてくるというより したから地道に積み上げていくうちに視界が開けるようなわかり方であった…というのを「情操型の発見」と呼んだ といっておられるところ

先日 ただ降りてくるんじゃなくて 日々のあれこれの 積み重なりから 生まれ 湧きいでてくるような…てこと 改めて感じて 書いてたったなぁ と…

通じる なんて 言い方は 僭越ながら…ですけどね

ま それはそれとして

明け方に見た夢で

山の奥の 茶室みたいな 小屋にある

茸の生えて 鍵盤が取れた足踏みオルガンを 弾いていたら

「昔 共に 演奏したことがある芸人さん」が

「あのロマ音楽の 伴奏のとこ 弾いてよ」と言ってきて

え〜?忘れちゃったよ と 言いながら

ぶかぶか と 弾いてみた

これだっけ?これだよね?なんて言いながら…

弾くリズムと 足踏み 空気を送るリズムが違ってて なかなかに 大変で

いでででで と 足攣ったとこで 目覚めた

にゃんこらに 布団ずらされた感じで 背中が寒い…てのもあったかもしれないけど

なんだか 印象深くて

音楽のとこ 楽譜に おこしてみた

そういや ちょこっと前も 韓国風の「パンソリ」という言葉が出てくる 歌の夢を見て

しばらく その歌が ぐるぐる回った

一昨年だったかも 欧州の森の中で 聴いたことない言葉で 歌いながら ぐるぐる踊ってる お子たちの夢見て

その 日本語でも英語でも韓国語でもアラビア語でもない…己が 覚えようとした言語ではない発音の出てくる歌を なんとか書き留めてみたこと あったっけな

…ま そういうことは やはり どこからか降ってくるものではなくて

わたくしの 日々の この世界での 見聴き体感の積み重ねから 芽を出したのだろかね

おもしれぇ と 思いつつ

白湯など飲む

コメントをどうぞ