脳活性化?

先日 母の 歌稿(東北アララギ会 会誌『群山』への 短歌投稿)

やはり 似たような 病垂ればかりだったとこ

無理矢理に 父のことを 詠んでもらい

ほんとにその時そう思ったのかよ?とか

使い慣れすぎて 擦り切れて 気持ちが伴わないような 表現 やめや!などと

かなりな キツイこと言ってしまい

互いにまた ヘトヘトになりそうになりながらも

気を紛らせたり 笑いあえるくらいに ほぐしながら

どうにかこうにか 終了

父 逝ってから

ほぼ 父のことについて 自分から何かを言ったりせず

己の痛みにいっぱいになってる いつもの感じだったものの

短歌で みっちり 焦点あててもらったせいか

「んで 葬式はいつやんの?」なんて 言ってきた

…れれれ

忘れた?2週間くらい前に 終えたのだけどな

…と あれこれ説明したら

「あぁ んだっけがぃん」と 

さほど びっくりする風でもなく

あんちゃ曰く

「ここ3年 父ちゃんと 毎日顔合わせるでもなく過ごしてきた 母ちゃんと僕の 受けた感じと 毎日みっちり 顔つき合わせてた あやちゃんとでは やっぱり随分と違うと思うよ」で

まぁ そういう 密着度というか 距離感みたいな違いは 確かにあるんだろうな

もっとこうなるはず なんて 押し付けで 無理矢理 思い出させないほうがいいのかな?

ま でも 楽しかった日々のことは 思い出してもらいたかったりするのだけどね

それが何になるかは わからんけどな

思い出す刺激のせいか

ここ数日 母の 夢見が

以前みたいに なかなかに ドラマチック ダイナミックになってて

おしっこ助太刀に 出動した とたんに

「あんだ ばぁちゃん 買ってきたった人形の名前なんだっけ?」など言われ

…?ボタン押すと 首動くやつ?

「んだ…あ…パイナップルからとって『パインちゃん』だった」…ですと

夢だろうと思いつつ そのまんま寝かせ

その後 も一回 起きたときは

「しゃね人来て 引っ越すがらって 応接間の前んとごさ 犬ば 繋いで行ったんだどぃん んで あんだら 何 けだらいいがわがんねがらって ご飯さ おするかげだのやったんだっけ…夢だげんとも」

こんだぁ 夢だとわかって言ったのだね

わはははは

愉快

しかし その夜

仕事から帰った わたくしに 

「あやちゃん…うちに 犬連れてきた人いたの?」と あんちゃ

夢だと 把握していたはずの話が 本当かどうか?と あやふやになったらしい

んな 犬なんて 繋がれてたら うちの にゃんこら ただ事じゃなくなるでしょうよ

今朝も「ぐーちゃん 泥だらけで かしわちゃんが…」とか くすくす笑いながら 起きたっけな

懐かしの人々も 登場するらしい

脳が 活性化してるのだな

今のとこ 夢は 夢の 範疇に ややおさまってるし

愉快だし

楽しもう

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