引き算的「もう」

「もういないんだ」とか

「もうやらなくていいんだ」という

引き算的「もう」という ものの見方をすると

大抵 さみしさ 喪失感が ぶわ と ふくらんでしまうのだな

「もう」殺菌しなくてもいい 父の 経管栄養セットや 口腔ケアを 片付けて

うぐ と こみ上げるものをも ともに 洗い流して

パイナップル頭子さん 密林を

殺菌してた 桶というか タブというか…の 容れ物に 入るだけ いれてみた

「お 久しぶりに 味噌入れの前のとこのスペースみた」と あんちゃ

欠落や 喪失ではなく

余白が生まれるのだ

余裕や 可能性が あるのだ

誤魔化したり 慰めたりするためだけでなく

今あるものを ちゃんと 見つめていきたいものだ

足の付根が 坐骨と 連動して 痛んで

ごろごろしてたら

気持ちまで 傷んでるような気になってしまってたけど

別に そういうわけでもなさそうだ

珈琲でも 淹れよう

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