「祈る」ということ

特定の宗教の 信者ではない

森羅万象の 宇宙の営みの理みたいなものへの 信頼はあるけれど

なんとなく 宗教的なものを 浮かべてしまう「祈る」という言葉は 

用いるに 躊躇いがあった

でも わたくしのなかで 祈るような思いというものはあって

では その定義は何であろうか と 考える

以前も似たようなことを 書いたことがあるけれど

今改めて 巡らせてみる

思うこと

今までの 越し方…来し方 今いられることへの 感謝

そしてこの先ざき 願うことを 浮かべ

実り結ぶために そこへと邁進してゆきます!の 決意みたいなものを 噛み締め

それを どこか…此方から 彼方へと 差し出すような感じ

ここにあること動くことから より良きことが あたたかくやさしく 波紋のように ひろがりますようにという思い

きっと どんな宗教でも そんな感じのことなのだろうとは思うけれど

その思いを差し出す相手が 特定の「かみさま」ではないということなのだな

何もないところに 放ってる感じとも違う

やはり 何かへ…

それは あらゆる いのちたち とか

在る ものへの 投げかけなのだと思う

全く対象物がない 光もない状態で 一人で 喋ってみたことがあるけれど

それって ブラックホールに呑み込まれるような

喋ってる事自体が 実際今あるのか自分がやっていることなのかどうかもわからない感じ…よるべなさおぼつかなさこころもとなさ で あたまぐるぐるして おかしくなりそうになった事がある

いや そんなことやること自体 もう 傍から見たら あたまおかしいこういだってことも 充分承知之助だがな

ま…とにかく そんなこと思ったら

生きて 暮らしていること自体 祈りだな こりゃ とか 思う

先日 和紙造形作家 渡邊摩里さんの 作品展『遥かなる時空を越えて go beyond time and space』at 水主町の民家(かこまちのみんか)にて パントマイム作品 やらせていただいたときの 一場面

摩里さんの おともだち「かおりさん」が

摩里さん作品との 絶妙なる 均衡 角度で 撮ってくださった お写真

多分『とある いのちの こと』の

生まれ 出会う ちょ と 前のとこ

祈ってる場面ではないものの

形として「祈り」っぽい

でも やはり 作品を生み出す その物語を生きることも

「祈り」だものね と 思う

そうして生きていく

祈っていく

そんな思いを 改めて 並べさせてもらえました

ありがとうございます

そして はっきりとわかること

お衣装 裏返しぢゃん!!!

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