吉川さんの声

伝え続けること
繋ぐために どうしたらいいかを 考えていくこと
諦めずに
やっていく

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私が訴え続けている事は一言で言えば「福島原発を支える人達の保護」
なぜそれを訴え続けているかと言うと、単純に現地の人間達が減っていっている事をこの目で見てきたから。

比較的恵まれた東電社員であっても辞めてしまう。
作業員の方々は会社そのものが無くなってしまうケースもある。
リストラも横行している。

世間で放射線について高い関心のある方が「被ばくしながらも現地の人達は頑張ってくれている」と思ってくださる。
ネットを見ていても、少しずつそういった話は目にするようになった。
言わばこれは、放射線の危険性を知った人達の現地作業員への思いやり。
これは大変ありがたい事ではある。

しかし私が伝えたいのは、それ以上に福島原発を早期収束させる為にいかに作業員を確保するかの問題。
それが破たんしつつある。それも間に合わない程度にまでになっている。
過去の投稿でも触れているし、私の活動で記事にもしてもらっている。

福島原発で起きているニュースをシェアし合い、評論家よろしく持論を語る
これは2年4カ月経った今でも、そこまでで終わってしまっている。
発電所内部の事に口を出せない実情が背景にあるが、根本解決には繋がるものではない。

福島原発を風化させないという点については感謝しているが、持論で展開させ民衆を扇動するやり方を拝見するたびに、残念な気持ちになる。

現地に足を運び、現地の実情を知る。それだけで十二分に作業員達の困窮やそれを改善する仕組みがないことがよく分かる。
せめて福島原発を語る専門家の人達は現地の実情を知るべきではないか。
私が関係を持つ、ジャーナリスト、記者の方々は、私が半分拉致にも近い状況で現地に無理やり連れていく事で見て頂いている。
すると、非情に自分が見てきた事、発表した事が上辺の事で中身が浅い事に気づいてくれる。

私がこの場で現地の情報を流した結果、ごく一部の方しか興味を持たれていない事が、現地の問題が小さく扱われている事を表している。

私に近づいてくるメディアの方には元東電という看板から、内部告発的な事に期待して近づいてくる方がいる。所詮その程度の扱いで終わるケースが少なくない。

汚染水の問題が手に付けられないほど破綻して、漸くお金の面で国が乗り出してきた。世間ではこれで劇的に進むイメージを持ったと思うがなんてことはない、若干動き易くなっただけで、現地の作業員の待遇が変わるわけでもない。

実際、現地で井戸を掘るといった作業量などは小規模の仕事であり、現地作業員達がまかなえるほどの仕事は現地には発生していない。

今後何十年も続く危機的状況を改善していくのは、結局現地の人間達
それを支える仕組みの重要性を訴え続けているのに
世間でこれほど何故相手にされないのだろうか
しかも既に手遅れの実情まで届けているのに

所詮、遠くで起きている他人事の扱いなのか
安易にストレスのはけ口にされているのか
反原発運動を進める為だけに取り上げているだけなのか
評論家よろしく自分は社会問題に関心があることを伝えて、持ち上げてもらいたいだけなのか

私は私で疑心暗鬼が生まれていく

人が動きだす時、私の持論は感情が働いた時だと思っている
感情論で語るのが、問題を矮小化してしまっているのか
伝え方を変えていかなくてはいけないとは思っている。

福島原発以降、世間ではそれにより莫大な収入を得ている人間達がいる。
現地への還元はないのかなと
私が知る現地で働いているNPO団体は大変苦しい台所事情でいる。
原発を語り高級車を乗り回す、そんな人間も私は知っている。
現地が改善されていかない実情に、まるで「食い物」にされている感情が生まれてくる。
私の身近な所でも「福島原発をバッシングで終わり、改善に動いてくれない著名人に対して食い物にされているとしか思えない」といった意見はよく耳にする。

現地を応援しなければと動いてくれた方々が増えたことに大変な感謝を覚えると共に、そういった方が増えているにも関わらず、変わっていかない現実と
使われない自分の現状に虚しさを覚えてしまう。

私が会社を飛び出したのは、外部から変えるため
最初は、町役場へ、次に福島県へ、そして規制委員会へ
いずれも相手にしてもらえなかった
苦肉の策が自分自身が動いていくこと、それが講演活動に繋がった
講演活動の中で、被災者の方や一般の方と面と向かってお話する事により
更なる問題点が浮かびあがってきた。

弱者が泣き寝入りするしかない世界
それを作りあげたのは一部の特権階級だけの問題ではなく
他者への無関心、何のことはない隣人たち
自分と違うのはその問題にさらされていないこと

原発事故の可能性は沖縄を除く全てで起こり得ること
将来の自分達の姿が福島県の現地で起きている
現地の問題がそのまま自分達にも反映するのに

補償の話は将来への自分達が補償されない事への予防線になる
原発労働者を支える仕組みは、将来事故が起きた後の対策になる
放射能汚染への対策をより深くしていくことは、将来自分達が同じ境遇になった時の対応策になる

決して他人事じゃないって事は理解できるはずなのに
3.11がターニングポイントになったのは、それにより苦しみ続けている人達だけでは、この先未来はない。

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