うれしがるのもなんですが…

うんこさん お出まし 難ありからなのか

うぐぐ やら

ぐあぅ などと

唸りて ベッド枠に 掴まり身動ぎがたがた

肺気腫によるのか…の ひゅうひゅう音も 高め

昨日 デイケア帰宅後

がたがたが なかなかに 激しくて

どしたっ!?苦しいの?と 声かけた…こことこ ずっと 言葉を発してないので 応答を 期待しちゃいなかったけど

「く…るし…」

おぉ!言葉ですがな!!

どこ苦しい?うんこでそうなの?

「うぅ…う んこ…」

出そう?もう出た?

「わ…がんね…」

会話だっ♪会話が成立しとる♪

しかし こんな 苦しがってる状態で よろこぶなんてのは

己の 都合ばかりだよな と 反省しつつも

一方的な 推測憶測手探り解釈ではなくて

やりとりできているから うれしいのだ

何がわかって 何がわからないのか

何は失われていて 何は残っているのか

そのときによっていろいろな有様なので なんともはっきりとは言えないけれど

表の有様は 変わったように見えても

確かに 父そのものの存在は 変わらずにいてくれるのだな と 思う

思いはあっても 伝える形に 繋げられない

繋げようという 意識が お休みしている感じもあったりする

やれ「尊厳のために」だとか

「胃瘻なんか」とか

「それこそ人間のあり方正義」みたいな口調で 遠回しにでも 傷つける言い方をする「立派な」ひとたち おられたけど

「機械につなげてまで生かしておいて」るということではなくて

なにかに 助太刀もらいながら 生きられるということ

いのち うごきかがやきつづけるよろこびのこと

よろこびうけとるしあわせ 手放さずにいること

とやかく言われる筋合いはない

てめぇが たまたま今 病垂ではないとしても じぶんのよろこびのためになにかやってること なにかしら 誰かの手に 助けられながら生きていることと なんか違うかよ!?己が手放した命の可能性を正当化するためにこっちに向けて言うなや!とか…

ちょいと 牙を剥きたい気持ち 首をもたげたりもしつつ

ま いいや

噛みつかず

それぞれのやりかたがあるのでねぇふふふ て 牙 仕舞って 笑って やりすごすことにする

ばんげに ちょこっとずつ 残ってた お酒を呑んだ

欲張らず

期待しすぎず

でも 諦めず…てなこと

改めてこれからも と 思いながら

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