野生の声音

今読んでいる本『野生の声音(しょうおん) 人はなぜ歌い、踊るのか』武田梵声(株式会社夜間飛行)

いちいち あぁ これは あのことに通じるかな と

今まで生きてきた道のりの あれや これやに 思いを馳せてしまう

身体感覚的に なんとなく 受け止めていたことが 言語化してもらえた感じ

まだまだ 読みきれない 咀嚼できないのだけれど

己の中を見つめ直す 寄り道時間が 長々とやってくる

自分は シャーマンでもないし

そういう能力を扱えるわけではないけれど

それに通じるものを 確かに 脈々と受け継いで生きている感覚は ある

「意識変容」という言葉も 概念も 知らず

しかし 幼い頃に 寝る間際 いつも とある姿勢に入ると 眼の前に現れていた ステンドグラスみたいな 光のこと

まろびでる 抑揚の 言葉未満…

西洋音楽の 区切られた音で ある程度訓練を受けて

絶対音感を 獲得できたような(これは獲得するものではないという説もあるが)時期もあったものの

その区切られたものへの答え合わせ的な 音感知よりも

区切られたものの間にある 表せぬ音に対しても 反応していたこと

そこへ 呼応することに蓋をしてしまったために

区切り 囲われたもの以外を 歪みや不快として 溜め込んでしまったことなどなど

今改めて 思う

こことこ 愛車ほびおさんの エンジン音が Fminorみたいで

アクセル踏みこみと共に 動く音程が

ついつい 西洋音階の 区切りとズレると 音程を直したくなって

アクセルの踏み方が 運転に必要な力加減ではなくなったりして

危険!

捨てろ!西洋音階をよ(運転中ね)

でもね Fminorから 想起された 旋律は

ヒーロー物の 警備隊的な感じ(♪わんだばだばだばわんだばだばだば♪て 聴こえてくる)で ちょっと愉快

まぁ そんなこんな

ちょいと 再認識というか 回帰というか

そのあたり

ただの 思い巡らせで 終わらせず

せっかくなんで 作品にも結ばねばな と

次回舞台にも すこぅし ねじ込んでみる

かつて 公の場で やったものの 組み直しもありますが

より 腑に落ちたこと

やれますように

ぼやんとしてるものの

作品にも 向かってる日々なのでした

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