内側からなぞるように

もう先週のことになってしまいました

オーハシヨースケさんの アプライドドラマワークショップ

今回で二回目とはいえ

前回と同じく ワークショップにて 何かを得よう!みたいな 強い思いよりは

28年ほど前に ぐなぐなと まよいまよいのあたりに 出逢えて 心救われた きっかけの存在の中の お一人であった(わたくしのパントマイム お師匠 はとちゃんまんちゃんとともに アフリカなども 回っておられた「太地企画」の 舞台 観たのでした) ヨースケさんに また お会いしたいっす〜♪とか

主催の きょんちゃんに会いたいよぅ とか

そういうのりで お出かけしてしまってる わたくしでした

軽くて すまぬ

もともと アプライドドラマ…て言葉を あPRIDE…と 取り違えておったくらいですからね

イギリス発祥の ドラマ体験で学ぶ 教育法のひとつ…てな感じなのです

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E

コミュニケーション力とか

表現力とか

想像力とか

そういったあたりを耕す感じ

表面的に 知識を得る講座ではないの

物語を 聞くだけではなく

己のこととして体験して 新しい気づきを得るとか

内側から なぞるようにして 発見してゆく ワークショップといえるかな

んで 今回のテーマは「白雪姫」

身体詩 という 表現舞台を 国内外で やり続けておられる ヨースケさん 

彼が プラクティショナー(ワークショップを 導く役回り)をなさるのをみると

物語を まず 語るにあたっての 演技力というか 説得力は 大切だなぁ と 思う

プラクティショナーという 立ち位置の人が ある程度 そのときのテキストになったものから 導き出されそうな 内包されるものや 本質 とか 準備してこられたとしても

様々な 思いを持った参加者の方々から繰り出される 思いもかけぬような 視点や 新しき扉が開かれることあり

それを 否定も 矯正もせず

なるほどそんなこともあり!と ともに響き合いつつ そこから展開してゆく しなやかさも必要 

資質と かなりの訓練が必要だろうな

誰でもできる役回りではない

それぞれの登場人物となって 質問に答えるとか

質問を繰り出すに

それぞれの立場 立ち方への 想像力が 必要

導きつつ ご自身も 参加なさるやり取りで

これまで得てきた 知識経験その他諸々全てを

あちこちの 抽斗 とっかえひっかえ 開け閉めしながらなさるとこ

おぉ さすが と 感じ入りつつ

わたくしも ぼやぼやしておれぬ 脳内大回転!でありました

前回の パレスチナのお話きっかけに パレスチナ問題を も少しきちんと知りたい!と 書籍 買い直したりしてましたが

今回 白雪姫きっかけに

女王の 哀しみみたいなもんが気になって

ちょっとそのあたり なんか…とか思ったり

まぁ とにかく またなにかに つなげ結びたい思い うず…てな 感じなのでありました

ヨースケさんの 顔本(Facebook)投稿からの コピー・ペーストは 下記

↓↓↓↓↓

仙台アプライドドラマ体験会、2月4日17時間〜21時。たっぷり3時間半、仙台生涯学習センター和室にて。今日の
アプライドドラマは、グリム童話「白雪姫」(プレテキスト・プラクティショナー:オーハシヨースケ)。実は、このお話の源話は、実の母親が白雪姫をその美貌を妬み、亡き者にしようとするお話が源話。実の母が子供の魂を潰すお話し。しかしそれは今でも起きている。子供の魂の欲求を親はしばしば潰す。白雪姫は小人たちの言いつけを守らず3度も継母に殺されかける。賢いアドバイスに耳を貸すより、魂の欲求に従ったのだ。それは愚かな行動なのか?もし小人の言いつけを守り、継母から逃れ続けたら、老婆となった白雪姫はその賢い自分の人生をどう思うのか。若い時の愚かな選択は、しばしば魂の欲求なのかもしれない。一見愚かな選択でも、それが魂の欲求から生まれたものならば、その危険や過ちは人生を賭して試すに値する。そんなことが話し合われました。そして最後は、偶然が白雪姫を助ける。
意味のある偶然。それは、機を知ること、機を観る者に訪れる偶然。積極的な問題解決ではなく。答えの出ない問に対峙する重要な態度。受容的な問題の昇華が、この物語には潜んでいる。そんなテーマで演じたり、話し合ったり、インタビューしたり。最後は、この白雪姫には
父親、すなわち王様が全く出てこない。そんな王様にインタビューを試みる。すると七人の小人の正体が語られ出した、実は、七人の小人は父である王が送り込んだエージェントだったのだ。父王は、ちょうど隣国との戦いで忙しくプライベイトはお后に任せきりだったのだ、ちょうど一昔前前の企業戦士の父親たちのように。などなど想像力を羽ばたかせて白雪姫ワールドを、勝手に誤読する。しかしこの誤読こそ正当な物語の読み方なのだ(読書行為論、ウルフガング・イーザー)
そんな3時間半でした。

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