柘榴(ざくろ)

柘榴が 好きだ

その形

幼い頃から 身近にあったのに 気軽に 手に入れられないところ(ご近所さんの 庭先とかにあった)

なかなかに 食べづらいところ

ばあちゃんの「障子の陰のおひめさま」なんてな 謎めいた言い方

幼稚園の時 ひとつ上の 「ゆうこちゃん」といったか…幼稚園の隣りにあった銀行の社宅あたりに住んでた人が

なにかと わたくしに目をかけて こえをかけて かわいがってくれたのだけど

その ゆうこちゃんが ある日 柘榴の実を 一粒くれた

うつくしくて うれしくて うきうきして

光に透かして ながめながめ

ちょっと 舐めてみたものの

もったいなくて 

大事大事に 幼稚園バッグのポケットのとこに 入れた

翌日も眺め

その翌日も眺め

…までは 覚えてたものの

すっとんと 忘れて 

しばらくしてから

あっ 柘榴あったんだ〜♪と

ポケットをさぐった

そこには

潰れて

染みて

干からびた 美しさの 跡形は 微塵もないものを 発見したのだった

それでも それは 残念な思い出 というよりも

もらったうれしさ

夢のように美しい色

そこいらが 色濃いまんまで

柘榴を より 素敵なものとして むねのうちに 抱えていた

長じてから

唯一わたくしの オブジェ作品(『去りゆく音 苔むす記憶』)を 買ってくださった ままやさんの 造形作品の中に 柘榴モチーフのがあって

とても ぞくぞくする 魅力を感じた

それは 喪失感 欠落感ありつつ そこに 注がれてしまう こちら側の思いがあったとしても

注ぎ込む 余白の 包容力みたいなものだろか

なんとも 色っぽい!と そそられまくった

引き取る 懐の 甲斐性なくて 諦めたものの

もしまだ お手元にあるのであればいつか必ずこの手にしたいと思うのだけれど…なんてなことも

最近 お伝えしたのだったな

そして 顔本(Facebook)きっかけで ごぶさただったとこ 出会い直せた しまあねんちに 招いてもらったとき

パントマイム お師匠 はとちゃんまんちゃんちから 

久しぶりの再会うきうきで 高円寺方面の 遊歩道を歩いていたとき

沿道のとこに 石榴の木があり

実が 熟れて割れて 半分になってるの(記憶曖昧)

あきらかに 人が住んでいないお家のとこのだったもんで

つい もいでもらってしまったのだった

しまあねんとこで 一緒に つまんだのだったかな

一欠は うちに持ち帰って 種を埋めたら

今や かわゆい盆栽的に育った

小さいお花も咲いてる

石榴を ひとつぶ ひとつぶ

つぴ ちぴ と 食べながら

そこいらへんのことを 思い出してた 冬の入り口

コメントをどうぞ