助さんの投稿から(石巻編)

新「奥の細道」(67-1)
9月10日(月曜日)午前11時過ぎ 石巻・上品(じょうぼん)の郷

 カエルの人形や風船などわくわくグッズ満載の森文子さん(道化師)の車。
 今朝は自転車ごとボクも乗せてもらい、
 仙台手前の岩沼から石巻郊外の「道の駅・上品の郷」まで一気に運んでもらいました。

 というのも、森さんの大道芸人仲間に石川明さんという被災された方がおり、
 この一年半の奮闘話を伺うことになっていたからです。

 石川さんにはパニック障碍の症状があり、発作が出ることがあります。
 色々と状況を考え、今日、
 よく知っている森さんも含めての席がいいだろうということになったのです。

 石川明さんは、オルガン大道芸人です。
 手回しオルガンと足踏みオルガンの双方を演奏します。

 お母さんと二人暮らしだったという石川さん。その最愛の母を失ったのは昨年の1月22日でした。お母さんの頭を撫でながら、歌を歌ってあげ、見送りました、と石川さんは言います。

 その大きな悲しみから抜け出せないまま、3月11日に被災。住む場所も失い、今は仮設住宅で暮らしながら、道の駅でオルガンを弾き、投げ銭を糧に暮らしています。
  食事は道の駅から一食だけ提供され、あとは何とか凌いでいるというところ。

 あの日、石川さんは車を運転中でした。長く続いた揺れのあとで石巻の家に戻ってみれば、ブロック塀が崩れた状態。近所の迷惑にならないようにとブロックを片付けているうちにどんどん水が上がってきて、ついには1メーター50センチぐらいになったそうです。石川さんはオルガンと手回しオルガンだけを車に積み、北上川の土手に避難しました。

 水が引くまで4日間、石川さんは土手の上に居続け、何も食べずに耐えました。 そして日赤病院へ。しかしそこはまさに野戦病院さながら。保険証を失った精神疾患の患者は相手にしてもらえる状態ではなかったそうです。

 その後、市内の中学校に避難するのですが、パニック症候群の石川さんにとって、人がひしめき合っている環境は厳しいものがあったようです。

  水が引いた後、石川さんは家に戻り、濡れた布団や畳などを処分しました。そして物置で暮らすようになりました。というのも、家はお兄さんの所有ということになったからだそうです。お兄さんもまた家族を抱え、津波で家を失ってしまいました。石川さんが音楽大学へ進学する際、たくさんの費用を家族が我慢して出してくれたことなどを踏まえ、家をお兄さんに譲る、自分は物置へ、そして仮設住宅へ向かうということに関して、何の迷いも不平もなかったと石川さんは言います。

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