無花果 ちゅーちんの思い出

かつて うちにも 無花果の木があった

もっぱら 生で食べていた

しかし カミキリムシ 幼ちゃんの 飼育場に 定められたか

いつしか 枯れてしまったのだった

まだ 木が 健在だった 高校生の頃

担任でもあった ちゅーちん こと 瀬戸忠三先生が

「わたくしは いちじくが 生であろうと 甘露煮にしたものであろうと 大変に 好きでなので お家にたくさんなりすぎて困っている人がいたら いただくということも 吝かではない」と 仰言った

日常会話で「吝かではない」という 言い回しを聞いたのは

多分 人生で初めてだった

数年前 お年賀の 返事が「パーキンソンに なりました」で

その後 病の進行に 戸惑いつつも それまでとさほど変わらぬ ちゅーちん節の お返事を はがき何枚かにかけて くださって

わたくしの 年賀を 気にかけてくださってることが 綴られていた

昨年 お連れ合いの方から 昨年の二月に 逝かれた と

おはがきを受け取っていた(昨年の 年賀は 多分4月くらいに 届いたのだったか はがきを受け取ったのは 初夏あたりだった気がする)

しばし呆然としていた(訃報の後 いつもこうなるのね)

数々の 伝説的 エピソードや名言を 事あるごとに思い出す

亘理の 苺のおばちゃんから(今の季節は 果物野菜の おばちゃん) 「甘露煮にするのいいよ」と 言われて 買った 青い無花果

母が「生で 食べるの好きなんだ」と いうので

生で食べられそうに 熟れたのを 2つほど 取り分けて

ちゅーちんならば「わたくしは どちらも いただきましょう!」て

おっしゃるだろうな なんて 思いながら

ちょっと 空を仰ぐ

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