わたくし 昨日 出演させていただいた「私たちは『買われた』展」
仙台では 本日まで(仙台駅前 イービーンズ九階)
展示の部分は
性暴力や 虐待 居場所のなさから 性搾取の 被害を受けた 少女たちの 写真と ひとり ひとりの ことば
あまりに つらく 重い 思いを
よくぞ 発してくれた!と 思う
自分のようにならないで の 思いやりさえ 受け取れる
読めば読むほど
無理解 無節操な 成長しきれていない「大人」が お子たちを そこへ行かざるを得ない状況に追い詰めているのだ と 思う
いろんな ケースがあるけれど
少しでも早く 突破口や 逃げ道へと 導いてくれる いい大人に 出会えたら良かったね て 思う
「そんなの 警察や 児童相談所に 任せとけばいい」とか
軽く言えない
夕方時間で締め切る 児童相談所 て もしかしたら 役立たずで 終わってしまってない?(ある程度の 救済はあるのだろうけど…)
補導や 逮捕では 解決できないと 改めて思う(「補導しときゃいい」て 言い放った人おったのよ!)
「難民高校生」当事者であった 仁籐さんの 立ち上げた 一般社団法人Colabo
相談窓口 食糧支援 病院紹介 シェルター…
その働きは素晴らしく 具体的で 今 必要な支援だなと思う
責められるべきは 少女たちではない
買おうとする 搾取しようとする 「大人」だ
そんなのみたくない 関係ない と 目をそらすものたちも
被害を 容認していると同じだ
助長させているのだ
加害者と 何か違うか?
もちろんわたくしもだ
ごめんなさい
これからできることしていきます
幼いさんたちが
たがいになかよくにこにことわかちあうのって楽しいよねっ♪て 骨身から思える出会いを
何かあったら 手をのべるって 構えるこっちゃないよね てな 思いが 育まれてゆくように
関わり続けてゆくこと
問題からだいぶ離れているようでも
やはり そういう根っこの健やかさが
搾取の側にも
される側にも なるべくゆかずに生きてゆけるのではないかと思うのよ
私の立ち位置からまず やれること
具体的な 支援の 物資とか 助太刀とか
そういうのも 無理なく できるときにしつつ
物事を 一般論だけで 片付けてしまわぬような
想像力豊かな
きちんと人と出会ってゆく誠実さに満ちた社会になってくれろ!と
強く強く思う