介護される側の方の 声って
なかなかに 発せられなかったりする
どうせ なんもわかってないだろうから という
なめてかかった態度の人も おったりするらしい
わたくしとしては 家族らに関して 幸い さほどひどい感じのには まだ 巡りあってないけど…若干…ね
入院の時の いきさつで
わかんねぇとおもって いい気になんなよこら!喉まででかかったことは ないこともない
ま それはさておき
介護を 受けるがわの たっき~さん こと 滝川直秀さんの 言葉は
もっとたくさんの人に 受け取ってもらいたいんだよなぁ
物書く人
詩を 語る人でもあるので
届く言葉で
時折 腑抜けた頭に ぽかり!と 一~二発
これからも 書きまくってけろ
↓↓↓↓↓
よく障害者はこだわりが強いというようなことを聞く
場合がある。しかし、それは違う。こだわりでなく、
そうでないとできないからの条件指定だ。
例えばストローの曲り方が何ミリか違う種類がある。
それだけで飲みやすさに差が出る。それを安易に違う
タイプのに替える。僕もモノも何も見ていない。
それは単なる作業であって、介護という仕事ではない。
瞬間視力とでもいうのだろうか、あるいは日常の通常
観察力のようなものが僕は異常に高い。僕を7~8割
とすれば、大体うちに入っている人で高くても5割、
低ければ2割届かない。
こんな表現はおかしいかもしれないけれど、それほど
みなさん空きメクラだ。何も観察せずに生きられると
いうことは、なんとも無駄に仕合せなことだ笑
と、こんなものでよろしいでしょうか、森さん?