「社会性」なのかもしれないけれど

やる気を出してもらうため
周りに目を向けてもらったり
鼓舞する 意味合いもあるのだろうよ
「○ちゃんは もう やっちゃったよ」とか
「ちいさん○君の方ができちゃったね」とか
「どっちがはやいかな」
「○○に負けちゃうよ」
という 言葉
できていないことをせき立てるためにあえてできている他の子を誉める…とか
有効に 適材適所で 用いれば よいのかもしれないけれど
うまく使えぬ…いやむしろ使いたくないのだ
それこそもうわたくし幼稚園の頃から
ずううっと そんな言葉を聞くたびに
勝つとか負けるとかなんなの!?て 思って
居づらさ そぐわなさ 吐き気を 感じ続けていたから
余計に 耳につくのか
この頃 そんな言葉が 多すぎる
気のせいかな…と 聞き流そうとしても
見知らぬ人のおうちの会話でも
なんだか そんなんばかり 聞こえてきて
眉が 知らずひそまっている
社会に出ると そういうことが 大切になってくるから…というのも
本当にそうなんだろうか?
大切なのはそんなことじゃない…と言っといて
でも社会が…という 言い訳で
大切なことを守る強さを育てる 大変さから
逃げ腰になっているのではないかな
たった一人の自分を愛する力って
勝ち負けの自信じゃないところから しっかり 根付いていってこそじゃないかなぁ
そんなことぐだぐだいってるから
社会の 中で 浮くのでしょう…か
生きづらいのかもしれないね
でも美しげなこと並べといて 実際は 迎合するくらいならば
浮いて生きづらいまんまでも大切なものを守るため たたかうさ
そこでこそ 勝ち負けの 話が出てきて
負けるもんか…なんだ
別にアウトローでいたいとか
そんなんは全くないし
かっこいいはなしでもないし
いうほど たやすくはないのだけどね
なんというか 上っ面じゃないとこの 核とか
そういう辺りから ものを考えたりしなきゃいかんよなぁ…と 思って 生きているわけだ

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