呑まれないでいこう

水曜の朝は いつも 余裕ない わたくしに なりがち

蒸し暑い季節に だめにならない ばんげのおかずを作って冷蔵庫に入れておく

ちちははデイサービスに わたくしが 送っていく

保育仕事通常シフトで 働かせてもらう

時々 ピアノ仕事を引き受ける

…ひとつひとつ そんなに大したことでもないはずなのに

まとめて 浮かべて 気持ちが いっぱいいっぱいになる

ちちはは 自分でできないこと 早くできないことだから 助太刀しているのに

ただ 頼み事として口に出されたことに

わかってるよっいまやろうとしてんだよっ!なんて

苛ついた 口調になってしまう

急かしているわけでも 責めてるわけでもないことばに

勝手に 急かされているような

怠っていると責められているような気持ちになってしまうのだろうな

言われなきゃ 失念することも多いくせに

言われずに 完璧にやりこなしたい思い…まだ どこかにあるのかもしれない

そんな たまでも ないくせに…

諦めの悪い奴め

…いや 高みを目指してる てことに しとこうか

放り投げられたごみを 捨てることなど

温まってる 牛乳を 出すことなど

ポータブルトイレの中身を 始末することなど

屁の河童だ

料理をするのは たのしいのだから

もっと 早起きして 作ったものの あら熱がとれて 冷蔵庫にしまえるようにすればいいのだ

余裕をもって 出掛けられるようにも なるのだ

水曜の わたくし的 山場は ちちははをなんとか 車に乗せて

デイサービスに 送り届ける辺り

かしゃり…とて とて かしゃり…とて という 父の 歩行器の リズムを サポートして 車に乗ってもらい

車椅子から 母を 車に乗っける 持ち上げの 雄叫びのような わたくしの 一声(いつも つい「ずおおおおおおおおむっ!」と 叫んでしまう)を 放つ辺りで

よしっ なんとかなる と 思えるのだ

…それが 保育仕事遅刻確実…てときは 泣きが入るのだけど

なんとか できてる

気持ちの問題だ

苛ついたときは

「いまあんたすんげぇひどい顔してるはずよ」とか

「いましかないひとつひとつていねいになでるようにあじわっていきていきたいっていったぢゃろ」とか

自分に 声をかける

感情の 沸々わくものに 呑まれないで

…で それってなに?と 視点をかえて

ゆるり の 心地よさを思い出して

自分を引き留められるうちに なんとかする癖をつけてゆこうとおもう

ゆるり を 思い出すために 撮っておいた 写真を見る余裕を 見失ったりもしてるけど

今週も よい日々でしたよ(今週はまだ残っとる!)

ありがとう

いろんなこと

いろんなひと

いろんないのち ものもの

そんなことを思いながら 休息のひととき

コメントをどうぞ