割れたからこそ

先日 割ってしまった やちむん ご飯茶碗

断面を まぢまぢと 見たら

色合いの違う 星のような部分もあり

あぁ 土なんだなぁ なんてなことを

改めて思う

茶碗そのものの存在を

あまり 何でてきているかなんて 思わずに用いていたから

壊れてこそ だな とか

まぁ そんなこと思ったところで

腹がふくれるわけではないが(あっ なんとなくいつもでっ腹であることは また別の話だかんな)

ぢびたに 立ちて 足裏に 感じていたものが

手のひらにも いつも 届いているのだ てことが

なんとなく 心強く嬉しいような気持ち

さて と そろそろ 母を 起こさねば

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