今年は あらかじめ

今のとこ

毎日 取り切れぬほどの 苺が 熟れている(熟れても すべてが甘いわけではない)

しかし まもなく とれなくなる

大抵 6月半ばあたりまで

んなもんで いつも 7月2日の 妙子おばちゃんの 命日には

苺がとれない

幼いうちに 病に 臥して

「いちごがたべたいよぅ」と 言っても なかなか叶わず

しかし 番頭さんやら ねえやさんやらが

東奔西走して やまこえた 亘理だか 山元だかの 農家さんで 奇跡的に 苺があり

それを持って帰って 

口にしてすぐに亡くなった…とか

ばあちゃんにとっては 幼子のままの「妙子ちゃん」

遺影の周りには ばあちゃんが貼った 苺のシール

命日の お供えを 担当するようになって 九年(母が倒れた後)

会ったことのない

しかし 昔から見慣れている 自分にも ちょっと似た顔

ちょっと 遠い存在だったはずが

年々 近く

思いが 色濃くなっていく気がする

ちょっと 不思議な感じ

今年は 今のうちに あらかじめ 摘んで 冷凍しようと思いついた

もう少し近くなってから…なんて のんびりしてると

夢のように 消えてしまうからね

コメント / トラックバック 2 件

  1. たみおば より:

    私と五十鈴姉の間のお姉ちゃんだった妙子ちゃんのことは、お母さんから何回も何回も聞いたよ。話すたびに涙をぽろぽろこぼして・・・。子どもに先立たれるつらさは何年たっても癒えることはないんだ・・・と、子どもを持ってみて始めてお母さんの哀しみの深さが分かった気がしました。私は妙子お姉ちゃんが亡くなってから生まれたので会ったことはないんだけど、写真の妙子お姉ちゃんが着ている服は、濃いピンクでバラの花の刺繍が散りばめてあるすごくおしゃれなワンピースで、私から妹の小波ちゃんへお下がりして・・・ふたりのよそ行きの服でした。お父さんも時々「妙子は3人のうちで一番めんこくて(可愛い)な・・・頭も一番いい娘だった・・・」ってしんみり言ってたものです。

    • bunbun より:

      森家の 顔だなぁ と
      遠く ぼんやり思うだけだったものの
      年々 すごく肌身に 近く感じるようになってきて
      なんだか 不思議だなぁ と思う こことこ
      かなしみを 抱いたまんま ずっと 越えてきた ばあちゃんの 胸の内のことなど 思い巡らせつつ
      毎朝 線香など あげとります

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