作品も育っている…といい

21日(土)の 定禅寺2✕3

己作品『線を ひく』は

初演は 確か 2015年だったかと思う

ジャーナリスト 後藤健二さんの 痛ましい事件が きっかけだった

国という括りや

思想や 

宗教や 

違いはあっても

それでもなお…と 分かち合えることを信じておられたこと

仲が良くない 相容れない と 言われている国の人とも

一対一…人と人として 向き合って

わかり合おうと 歩み寄ることが確かに出来ていた ほんの些細な 自分の経験とで

生き合うことを 諦めずにいたい という 思いを込めたのだった

そして 争うことの根っこは 自分の中にあるということも…

今回 他のことを やめてまでも

また この作品を今やりたいと思ったのは

やはり 他人事ではない 同じ地球の 上での 争いを

仕組みとして しょうがないよね…と 知ったふうなことを言って(何もよく知らんが)諦めて 手を離すのではなくて

肌身に染みる思いを 眼の前の人へ

また その隣の人へ

そして も少し先の人へ と

たしかに1つ1つつないでゆけば 世界へと まあるく繋がることができる と 信じているから

まだるっこしくても

諦めずにいたいから

そんな思いからなのでした

初演では 確か 「線」を 消さなかった

たぶん 2回目…斎理屋敷で つちびと可南さんの パネル展だったかな?で

からだが 引いた線を 消しに向かったのだった

おや…と 思った

一人稽古では出てこない動きだったから

その時 もっと 作品の中での 思いが より 腑に落ちていった 気がした

その後 何度か あちこちでやらせていただくに 

やはり 細部が より見えてくるのだった

自分の中から 生まれでたものなのに

自分でも把握しきれていない 部分の輪郭が 定まってきたり

また 違う広がり 

ときには 省略が 起きる

いきあたりばったり…というのとも 少し違って(少しそういうところもあるのかもしれんが)

なんといっていいか うまくいえないのだけど

とにかく その時その場所その周辺事情で

ゆらり と 揺れて おさまりどころが まえとはすこぅし 違ったりするのでした

こういうの 作品が「育つ」と 言っていいのかな

そうだといいな

劣化ではありませんように

常に 思いの 息遣いを大切にしつつ

生きている作品を

作品を生きる自分を

大事にしてゆきたい

…とかなんとかいっていまつぎのぶたいでのさくひんについてうががががあぁ!!!とか

だいぶ無様に 悶絶したりしてるとこなんすけど…

誰のせいにもできないうまくいかなさでぐるぐるしながら

きっと本番には ちゃんと いきいきといきるはずだ…と 信じる

石原恵美さん 矢野文子さん K WATANABE氏が 撮ってくださった お写真

だだだ と 並べました

ありがとうございます

また きっと

フィナーレで みんなで 笑いながら踊ったみたいに

世界中で

どこにいても

そんなふうにできたらいいな

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