河の童(かわのわっぱ)

『河の童(かわのわっぱ)』のこと

感想は後程 と 約束しといて はや幾年

いや 大袈裟ですけど

ほっとくと もうどこかへいってしまう

それならそれでいのだけど

誰ももう待ってなくても

己の言葉への責任をとる(無責任のくせに時々殊勝なこと言うてみる 今日はそんな日)

18日(日)「デフパペットシアターひとみ」さんの『河の童(かわのわっぱ)』を観に 行った

かずえさんが 制作をしていたから…が 観にゆくきっかけ

かずえさんは

はじめ アクティブスーパーニート(なんだそれ!?) レンジさんを 通じて その 思いに丁寧な活動っぷりを 知って

ひそかに 憧れていた人だった

そんな 流れで 名前だけは聞いていた 何の前知識もない「デフパペットシアターひとみ」さんの 舞台

劇団員のかたは 健聴のかた 難聴のかた 様々であるとか

はじめ プロローグは 何をも持たずに 立つひとたち

マイムのようでもあり

ダンスのようでもあり

音楽そのもののようでもあり

字幕もあり…

音だけを きっかけにできぬことからか

互いに それぞれ 離れて立っていても

それぞれの 醸す空気のようなものに 触れ合いながら そこに 立ち 動いているような 緊密感

風景だった人が

人になり

ひとがたを 操る人になる

しかし 文楽のように 己の表情を消すわけでもなく

登場するものとしての 表情満々

ひとがたが ぼたりのさり と おきあがりこぼしのようなテイで

動きに乏しいものだから

ついつい 操る人を見てしまう…はずだった

しかし いつの間にか 人だけではない

ひとがたと共に 醸し出されてくる なんにゃらかが そこに 膨らんでいるような気がして

どちらを見るでもなく

そこにある世界を見ていることに気づく

操る人が ひとがたを置くと

表情がない…と 思い込んでいた ひとがたの 生気が 消える感

動いていたのは あなただったのか!?

どう頑張っても めんこくねぇ…と 思ってしまう 大人の ひとがたが

案の定の 役回りで こんちくしょう てめぇら!と 憎たらしくなってくる

…はずなのに その 動きに 不自由で めんこくねぇ ふてぶてしく 憎々しい「おとな」が

むしろ 凝り固まって 重々しい形に縛られながら

なにかにすがるしかなかった よわよわしくも あわれなる いぢらしさに すりかわってゆく

河童としての 造形より

河童風 魑魅魍魎 樹の精のような 土や水の精の 不定形なる形の

なんとも 自由に のびやかに 表情豊かなことか

もしや 供されていった わらすこのいのちは

あの のびやかな いきものに 生まれゆくのだろうか?

そんな 希望の光さえ 見いだしたくなる

決して 予定調和ハッピーエンドではないけれど

重苦しいだけでもない

それぞれに どうぞ と 託されるような

不定形の しなやかさ

最後の台詞が よく聴きとれず

手話もわからぬ 狭間のものとしては

もやっ と した気持ちになったものの

ことば 手話 どちらかに寄りかからず

そこからだけ汲み上げなくても

そこに立ち上がった世界を まるっと 受け取って

水底に沈めておこう いつか 泡沫のごとくに 浮き上がってくる 思いを 待とう なんてことも 思ったり 思わなかったり

公演後の 交流会では

劇団の方も交えて 思いをやり取りし合えた

和やかなひととき

大好きな 仙台mirokUさんの 河童マフィンを

「いくつでも食べられそう🎵」なんて

みんな にこにこ 更に仲良しになった感

受付のところにおった 緑河童指人形に 一目惚れ

どこかへ行ってしまう前に!と

舞台を観る前に 急いで 買った

劇中に 出てきたわけでもなんでもないのだけど

めんこくて ずっと「いつも鞄」で 連れ歩いてる

オレンジレンジ河童との 密談写真は

撮影者 桐島レンジさんから いただきました

まぁ そんなこんな

とりまとまらぬまんまですけど

急いで答えを出すことでもないので よしとしよう(投げてる!?)

よきひとときを ありがとうございますた

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