忘れかけたりできるけど 

忘れっぽくて おめでたい頭だから
気楽だったりもするけれど
何も無いところで 身体ががくがくっとゆれたり(どうも疲れたときに出やすい気がする)
地割れて がごがごした道や まだ 点滅中の信号のところを通ったりすると
震災後 という 言葉を 再認識する
それから ほんとに あるかなきかぐらいの 胸のうちの変化
思いの湧き出る源あたりの 噴出孔のような 出口の形が違った・・・とでもいおうか
ある 友達が「表面的には あきらかにならないんだけど どこか 確実に 心持ちって 変わってしまったんだよね わかるひとにはわかるけど、やっぱ わかんないひとにはわかんない びみょうなところなんだよね」ってこと しみじみ言ってた
うん そんな感じだよね わかる
「共に生きよう・・・て言ってくれるのも嬉しいけど なんか 安全圏から発する 奇麗事にしか聞こえない。そんなこと思う自分にも嫌気が差すけど、つい けんかごしになっちゃうんだよね」とも・・・
嬉しいと思うこともあるけれど そういうのって 難しいもんだね
いろんな事情 環境を受け止めつつ 自分なりに折り合いつけていく・・・なんて
震災前だって ずっとやってきたことなのに
余裕出てくると 案の定
どうにでもなりそうなどうでもいいことで 心揺らいだりする
甘えた 心持ちぢゃが

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