わからなくてもわかっていても

みんな 放射能を浴びたいわけじゃないんだよね
放射能がでても 快適な暮らしのためには 経済のためには しょうがない・・・て人
危ないことがわかっているのに 使用するのは いやだ・・・て人
だめだって言うなら ほかのもの考えてから言え・・・とか
そんなことしていたら 手遅れになってしまう・・・とか
いろいろな 話が飛び交うのを 見ながら
そうだね ふむふむ と あちこちにうなづきつつ
自分の思いを掬う
30年位前に 反対署名やら 熱くなっている人たちの近くにいて
でも 何か するごとに 
そういった思想に偏るということは・・・とか
未成年で すべての責任が取れないくせに・・・とか
政治団体・宗教寄りの活動に絡めて 批判されたり 説得されたり
思い自体の 意味を問われるのではなく
その周辺まで含めての 大きなものまで問われ あっぷあっぷしてしまった
ひとつの思い ことば 動きが
いろいろなものにつながって ひとつでは 済まなくなるのはわかる
では それで ひとつのことを あきらめてしまってもいいのだろうか?
反対運動 署名運動・・・大きな動きにならないと 動かせないのか?
今あるものは なくしてしまえないのか?
今ある 動きのすべてに うなづいたり イコールにできないでいる
でも ぼやぼやしていられない気もしている
かつては 子孫を 残すための身体 ということをふくめて 思いが生まれていた
今は その可能性も 自分そのものについても 比較的 頓着はしなくなった
思い切り 光を浴びて 風に胸を開きながら思う
でも 未来とか 社会とか 大きくなると 抱えきれないけれど
身の回りの 触れ合える 美しい命が 困ったことになるのは いやだなあ
その子達を 守れたらいいなあ
それだけは わかる
ほんと その程度
それで 自分の手に負えることを する  

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