生身の身体の能力

有能補聴器 オーティコンさんの すごさに 感動すると共に
やはり 人間の身体のつくりの精密さを 再確認する
どのくらいの年月をかけて こういうからだの仕組みが 築きあげられてきたのだろう
細胞の?生命体の?何物が この形を 目指して 形を整えてくれたのだろう?
ほんの 耳の事情から
ふと 何億年かの 流れを 振り返ってみたくなる
音楽&タップを 機械で捉えるのは
3次元が 2次元に 焼きなおされたような
メリハリが 均されたような 感じ
細かい設定をしていただいたとはいえ
やはり 全部の音が ガツンと来るので
拾いたい そこの音・・・が 探し出せない
ものすごく つらさをともなうもので
やはり はずして やったほうがましであること 思い知った
とりあえず まだ 音を拾ってくれる この生身の耳に 
あと どれだけ 頼っていいものか
ずっと 同じようにやっていける なんて 過信は とっくに 持たずにいたつもりだったけれど
さっきの稽古では もちっと ちゃんと 考えとかにゃなぁ と しみじみ思った
機械をつけることに もっと 慣れたら
猛スピードで それに合うような 耳の構造に 進化してくれたらいいんだけどねぇ

コメント / トラックバック 2 件

  1. akaru より:

    >猛スピードで それに合うような 耳の構造に 進化してくれたらいいんだけどねぇ<
    昔の私の友人が、医学の一日も早い進歩(自分の病気に関する)を切実に願いながら逝ってしまったことを思い出しました。少しニュアンスは違いますが…。

    • bunbun より:

      あの時 もっと医学が進歩してくれていたら・・・など
      亡くした 大切な人たちのことを思うと 切ないです
      ただ ずっとずっと昔の人たちは そんなものがない時代にも
      それなりの命のまっとうの仕方をしてきたのだから
      今 自分が あ~だこ~だと いってしまうのは
      いわば 欲深だったりするかも・・・なんてな反省もちょこっとあったりして
      いまあるもの ないもの 丸ごと 受け止めて
      時々「進歩」の恩恵 いただいて やっていくしかないのですけれどね

コメントをどうぞ