瞼 海老水餃子化 進行中

明日の夜にしときゃよかった(あさって 出かける用事なし) つっても後の祭り
ちょいと 一ページのつもりで読んで・・・そうです よんぢゃいました『そうか、もう君はいないのか』
うかつでしたわよ 字も大きいし
感傷的に盛り上げるでなく 出逢いの頃のエピソードや これまでの日々が 軽やかに 書かれていて  
ついつい つぎへつぎへ・・・で どかん!
うがああ 涙とまらん
著者 城山三郎氏が 亡くなった後に 遺稿を 編集したものである というのも 
思いいれにあふれすぎて 重く湿ったもにならずに 読みやすかったのか
だからこそよけいに やってくる 幸せな日々の積み重なりの 上から 
不意に 足元を失うように 落ちる 喪失感の奈落
立場は違えども 悲しみの片鱗が 自分の思いの中で沸き起こった あの出来事 この出来事を呼び覚まして 再び 震えだして おののく
娘さんの あとがきのなかで 城山さんの 最後の日々に触れて「命を感じながら生きるようになると、自ずと出てくる感謝の気持」という言葉
そういえば 大切なおばや ばあちゃんの最後の日々のあたり ちょうど 
今思えば 他愛の無い あれこれで 気持下向きまくりで
「死にたくないけど 生きていたいわけでもない」という かなり 「ひでえ」状態だったけれど 
まさに「命に触れて生き」させてもらって 生きることを 問い直させてもらったのだった・・・など 思い返す
この本の中にたち現れる とても 愛しい 時間
うらやむでなく 今 只中にいるではないか と 思う
てらうことなく 愛でていこうと思う
瞼は おもたいけど ま、読んでよかった
なんとか 腫れずに済んで欲しいけどな

コメント / トラックバック 2 件

  1. akaru より:

    そんなにいいですか。そのうち読みます。
    城山三郎には『部長の大晩年』という本が有って、永田耕衣という俳人の評伝です。この永田耕衣については、我が宮翁さんが深く知っておられて、城山の取材不足を嘆いておられました。余聞でした。
    CD、もう少し遅れます。

    • bunbun より:

      わたくし 幸か不幸か 城山さんの本は これが初めてなので
      数々の 硬派な作品を読んでいらっしゃる方には 衒いなく 感情に従い過ぎて 違った印象に 戸惑ってしまうとか。
      akaruさんは どんな感想をもたれますことでしょか
      評伝は むずかしいものですね
      人の一生を たった数百ページに 収めるのですから
      何処をどう切り取り選んで 並べて まとめてゆくか・・・
      知った人のことであれば なおさら「もっとこんな面もあるのに」など もどかしさもつのることでしょう
      CDのこと 大丈夫ですよ~
      気にかけてくださってありがとうございます