TAP SHOTS~はじまりの前の話~

TAP SHOTS と名乗ってから 十年くらいたつでしょか。
はじめて この言葉使ったのは 今をときめく(前も このフレーズ使ったなぁ)KAZ・・・こと 熊谷和徳・・・呼び捨てにしちゃいかんな・・・くまさんが、熊川哲也プロデュースの 舞台「Yellow angel」に出る・・・てんで、ニューヨークから日本に戻ってきた時、仲良しタップ仲間で 花のスタンドでも贈っか・・・て話が出て、どうせなら個人名よりか TAP団体がバックについてるみたいなほうがいいよね・・・と 咄嗟につけたのがはじまり。
名の知れた そうそうたるメンバーの中で その頃は「このこだれ?タップででんの?」みたいに、周りのお客は ほとんど熊川ファンクラブとか、他のダンサー目当て。
大丈夫だろうけど なんかどきどき 田舎のおばちゃん気分。
舞台始まって 周りが「くまてつー!」なんて 黄色い声で叫ぶし わわわわわ。
場面変わって くまさん(KAZのほうね)でてきてこんにちは・・・静か・・・
 なんだか わたくし感極まって くまったら 大きくなってうう・・・なんつって 対抗意識もあいまって「くまかず~!」なんて叫んじゃいました・・・野太い声で・・・場違い。
くすくすわらいが さざ波のように ひろがったけど、その後 くまの ノリで「なんか タップもいいじゃん」みたいな 空気になって ほっ。
それはさておき
その後 当時仕事で関わっていた ダンス学校みたいなとこを すれ違いから生じた あれこれのため 悩んだ挙句 やめることにした。
わたしのもとに きてくれてる大好きな生徒たちのことを考えると 心痛んだけれど それでも どうしても納得できない とあるものの存在の為に。
詳述すると、未だに攻撃的な物言いになってしまうので まだ消化できてない部分が残ってんだな、このへんにしとかんと。
舞台に出ることにまで「どうせわたしなんか」と下向きになる日々
そんなある日、タップクラスの生徒だったAちゃんから「飲み会しましょうよ」の電話
そこで「私 タップ好きですけど ただやりたいんじゃなくて 文子先生に習ってやりたいんです」といわれ 居酒屋にて 号泣
他のメンバーからも「またやりたいよ いっしょにやろうよ」なんて 手を握られ・・・これ以上 泣かすなっつーの。
「わたしなんか」の下向きベクトル 涙と共に流れ落つ わはは 単純
で、自分のリハビリと みんなが のびのび 気楽に自由にやれるよに・・・と エルパーク仙台のフィットネススタジオ借りて ノリで言った割には 気に入ってた名前TAP SHOTSとつけて 始めて 今日に至る
「ダンスはそんな甘いもんじゃない」とか
「そんなのタップじゃない」とか
「ダンスのキャリアも無いくせに」とかの ご意見もいただきました
ごもっとも・・・とはいえ、タップは わかりやすくて 懐深いもの
そりゃ 奥には 厳しいこともありますさ。
でもわたしは 入口の そのまた手前の広場で インフォーメーションしてる感じ
みんなおいでよ~楽しいよ・・てね
鹿爪らしいこと言って 優越感感じて 間口狭くして 門前払いする ケツの穴の小せえ奴の言葉に 耳かしてる暇 ねえっつーの。
会場予約の為に 定期的に稽古できないのが 申し訳ないけれど、気軽に 細々・・・だと、何年もご無沙汰だけど ふらっとやってきて 「あ、まだやってる」て 訪ねてくれる人もいて 嬉しい。
いろいろやるけど、そのひとそれぞれが そのひとなりのテンポやリズムで のびのびふふふ・・・と 踏む 鼻歌みたいなタップ 好き
細々過ぎて 途切れそう 挫けそうになったりもするけど
あの日 こうしてまた あはは・・と 笑ってタップ踏む日々を 取り戻すきっかけを くれた 今は亡きAちゃんに「ありがと」とつぶやきながら きっとずっと ぱたぱた やっていくんだ
ちょっと 感傷的だね すまん

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