君らだったのか

春撒きエンドウの 枯れ茎を整理して葉っぱの上で
立てていた棒も 引き抜いて
・・・の 名残の穴かと思ったら
どうやら ぞくぞくと 羽化している 蝉さんたちの 出口のようで
あんちゃによると 午後5時くらいになると
ものすごく緩慢な 一歩 一歩 で葉っぱの裏で
木やら 草に
登っていくのだそう
その ゆっくり ゆっくりを
ずっと 見ていたい
そんな時間の過ごし方
できないわけじゃないのに
つい 何かに 追い立てられるように
何か 建設的に過ごさなきゃいけないような気がしたりして
急いだり焦ったり落ち込んだり木の上まで
意味とか 意義とか
意識の 表面のことばっかりに 
かかずらわって
おたおたする自分が
空蝉ほども 価値は無いかも
なんて思う
でも それでも いいよね
たぶん

コメント / トラックバック 2 件

  1. あしゅりん より:

    アメリカの十七年蝉や十三年蝉って、一度に何億匹も羽化するでしょう。
    あれって、その何億匹分かの空洞が地下にできるわけで。
    地盤沈下くらいおきそうな気がするんです。
    これを繰り返すと、地球が全部蝉になってしまうのではないか、などという詩を書こうと思ってます。

    • bunbun より:

      億単位・・・ひいぃ
      地殻の表面あたりだけだとしても すごいことが 起こってる感じ
      蝉は あれこれ 人間に もの思わせてくれちゃう 存在ですよね
      戸川純さんの歌『蛹化(むし)の女』・・・あれで 蝉とか蛹に 詩情感じるようになったかも
      あしゅりんさんの 蝉に動かされた思いや言葉を ぜひ きかせてくださりませ