きっとなんとかなってゆく

母の病室にて

日々の写真やらを見せた

見ることが 疲れてつらい と言ってたものの

日向ぼっこぴちの写真など

「あ~ めんこいねぇ」と 懐かしそうに見てた

その後 足やら腰やら腕やら マッサージしたら

「あんだの手は すごいね」なんていってくれて

でも なんにゃらかの効果があらわれてからいってよね なんて

照れも半分

気持ちよくなるだけでもよいのかもしれないけど

それで誉めてもらったとしても

なんだかなんもできてないくせに なんてな 無力感も湧き上がり

複雑な気持ちになったり…

でも ぴちの あのもふもふで 触れたら もっと リハビリ効果あるだろうな なんて思う

今夜の母の左手は

何となくいつもよりも 浮腫んでいない気もして

あれ?と 思った

母も「実は今日は何かが良くなる日って決めてて きっと何かよくなってるはずなんだ」なんて 乙女のようなことを言う

しかも 左が痺れた感じがしてる とも

左半身が熱く重たく痛いような 眠れぬ日々が続いているといってたけど

それを慰めるように

全く感覚なかったのから 甦ってきたんじゃない?何て言ってたけど

痺れって 更に 甦りくさくないか?

よく 麻痺していた人が 回復するときに

ビリビリって電気走るみたいになって 動くようになったなんてなはなし 聞いたことあるぞ

「希望」とか 「信じる」とか 素敵なのだけど

よるべない浮わついたことばだけに慰めを求めたくはない なんてなひねた思いもあったのだけと

何となく 今日は 痺れ…というあたりが「寄る辺」となった

おぉそうだね 繋がってるね

身の内に渦巻く思いがどうであれ 

手渡すことばが

いつもよりも 温度が上がって 重量感も増した

そういう 確信があるときの ことばは

己が思う以上に なにかを発揮することがあったりもする

いつもより ふかふかと眠れそうだ

きっと なんとかなってゆく

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