なぎ〜ねえちゃんから

ドリアンさんが紹介されてますよ〜、文子さん。

…と なぎ〜ねぇちゃんから教えてもらった記事

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わたしたちが生まれてきた意味とは?
★ドリアンと黒斎の『これでいいのだ!』チケット発売中★

今日はドリアンさんの素敵な記事をご紹介。

ボクは1994年に「叫ぶ詩人の会」でポニーキャニオンからデビューしました。
翌年からニッポン放送のラジオの深夜番組でパーソナリティーを4年半やりました。
スタート当初から、白血病の少女の悩み相談がきたりしてリスナーの反響が大きく、やがて全国放送になりました。

ある時、番組のイベントで若い人たちのいろんな声を聞いたのですが、「大人になったら社会で役に立つ人間になりたい」、「人の役に立たなきゃ生きている意味がない」ということをみんなまじめな顔で連呼するんですね。
感心する半面、ボクは「人の役に立つことが、生きる意味なんだろうか」と、そのことに何とも説明しがたい違和感を覚えていました。

(中略)

ボクは2000年の3月に深夜放送の番組をやめて、2002年の9月までニューヨークにいました。
ですから、9・11のときにも、近くにいたのです。
街がどのように変わっていったかを目撃しています。
住んでいたのは不法移民が多く、少年がタバコをくれとせがんでくるような地域でしたが、9・11の後は星条旗が窓に貼られ、”GOD BLESS AMERICA”の文字が街にあふれていました。
皆、臨戦状態のような感じで、いまこそ「祖国のために」「人のために」という高揚感が溢れていたのですが、ここでもボクは違和感を覚えました。
「戦争」も「国のため」、「人のため」。
東日本大震災の被害を甚大なものにしてしまった「原発」だって、「人の役に立つ」ものとして作られました。
そういうことをひっくるめて、「人の役に立つ」という言葉を、いちど頭の中で、段ボールを分解するように丹念に解きほぐしていくと、本当に「人の役に立つこと」が我々の生まれてきた意味なのかという思いがますます強くなって、根本からの疑問に変わっていったんです。

(中略)

戦争や原発は極端な例かもしれませんが、では、人の役にたたないトンボや蝶の羽があんなに奇麗なのはなぜなんだということも含めて、「人の役に立つ」とか「立たない」という次元ではないところで、我々は生まれてきたんじゃないか――。
生命の根源に迫る、そういうことを深く考えていきたかったのです。

(以降略)


全文は、ポプラ社さんによるドリアン助川『あん』発売記念イベントのページ(http://www.poplarbeech.com/sp_pickup/ann/)をお読みいただければと思います。

★ドリアンと黒斎の『これでいいのだ!』★

11/23(土)18:15開場
場所:新宿区立・四谷区民ホール
全席自由:\4,500

★★★現在、当日券の販売のみとなります★★★
当日券は、当日に会場にて販売いたします。
当日、直接、会場受付にお越しくださいませ。
なお、お代金は4500円となります。
(前売り券と同じ価格/全席自由です)

よろしくお願いいたします。

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