新しく注がれてゆく

庭に 増殖してゆくものの一員 ニシキギ

まゆみ や

おにつるうめもどき に 実が 似ておる

余地があると どんどんやってくるのだな

いや 余地がなくても 

ずんずん 己の 居場所を 立ち方を 定めてゆくのだな

日々の 暮らし方の リズムが 変わったとしても

「変わった」なんて 噛みしめるいとまもなく

余地のはずが

また 次の 今の なにかが 注がれて

切れ目なく 生き 暮らしてゆく

もう 今では「お襁褓」という字を 毎日書いたりしない

そんなことを不意に思い出すと

まだまだ 泣きたくなるものだが

まぁ それもこれも 受け取りつつ

いくぜ

先日「すごく さびしそうなかおしてあるいていらした」など言われたのですけど

もしや お釣りを落として 探していたときでは?

わたくしは 元気だぜぇ

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